Deweyカンジの枝葉末節

御所南のDeweyです。こちらでは脳内にある、お店フィルターにかける前のお話をしようと思います。

ちょっと死んでみる。

こんばんは。

ボクはいくつか読書会というやつに顔を出しておりまして(目下定期的に稼働しているのは1グループですが)、大体2ヶ月に1度、お題の作品について飲みながらあーだこーだ喋るという、オタク業界でいうところのオフ会のような物でしょうか。

 

 

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先日は某老舗居酒屋の湯豆腐(もはや鍋ですが)を囲みながら、3年前の直木賞受賞作であります佐藤正午氏の「月の満ち欠け」を。

お題に傾向はなく、国内外・新旧問わず、その時の皆の気分で次はこれの気分かな〜なんて軽い感じで。因みに次回は初の漫画です、漫画の名作も心を打つものが多い。

そしてタイトルの「ちょっと死んでみる」、別にボクがそういう衝動に突かれているわけではないですのであしからず笑。まだ読んでなくてご興味のある方にネタバレするのはアレなので、内容に言及するのは極力避けようと思っているのですが、、これは登場人物Mの先輩が書き残した言葉。読書メーターなんかで色んな方の感想を眺めていると、このMについて述べられたものは殆どなく、あったとしてもよろしくない印象だという意見が多い。しかしながらボクには最も気になる人物でした。むしろこの人の動きで物語の活性化がなされてるように思いました。この先輩は順調な人生を歩んでいたはずなのに突然自死を選ぶのですが、それに対してMはとても憤りを顕にし、主人公と言える妻のRは相対的な位置にいる。

確かに読み進めているとMの言動が極端や強引に感じたりしそうなのですが、俯瞰で冷静に見ると、登場人物の中で最も一般的なんですよね。それよりも物語の中心人物の方が一般的には逸脱している。しかし読者の感情は逸脱している方を支持する声が多い、大衆を扇動するのはこの辺りを上手くコントロールできるかどうかなんだろうなあと笑。

この物語は肉体を"器"とし、心(愛情や存在)を準永続的なものとして表現してます。「ちょっと死んでみる」というのも、色んな環境が整って(と言って良いのかわかりませんが)試してみたくなった。肉体と心のバランスの綱引き、それがかなり精神的立地からのもの、ある意味衝動なのでしょうけれど。

器というのは不思議なものですよね。皿の具合で美味しそうに見えたり、シチュエーションによってはその逆も然り(片手鍋のままインスタント面を食べる楽しさのような)。スーツを着ればピリッとするけれど、家着のジャージだとスライムのようにソファから動けない、中身は同じ人物。子供を持って一人前、そういうのも器としての表現と言えるでしょう、もはや死語ですが男の器というやつですよね。使い古された表現であれば、水は形を変えて器に寄り添う。このまま展開すると鷲田清一氏の著書を読む方が早くなりそうですね・・・笑。

前述の主人公的人物Rは逆に器を変えながらその心の形を変えずに時を重ねます。物語終盤にかけてその倒錯感が加速する、登場人物の年齢・時間・関係もどんどん複雑化します。時間・感情・存在、それが月の満ち欠けのように波打つ、いや、、波打つと言うよりも、速度が一定でエンジンの回転数が上がったり下がったりするような、なんとも言えない読み心地の小説でした。

読書会の帰りの夜道に月を眺めてると、ひょっとするとかぐや姫エスプリも少し取り込んでるのかなあと思いました。あのお話も冷静に考えると結構かぐや姫が怖くなります。ジブリの映画でもその温度感が表現されていたような気がします。

そしてやはり「Mが一番かわいそうやな、普通ならあいつが一番まとも。」という結論が、ボクの中で固まりました。

読んだ方、是非Deweyに来てください、話したい笑。まだ読んでない方もオススメします。

 

佐藤正午氏の文章は、振り回されて心地よい。

 

 

 

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ちなみに「小説の読み書き」という氏の著作もとても面白い、名作&名作家を斜めから切り取ってます。ちょっと前のボクは太宰についての表現に膝を叩く思いでした。Deweyに置いてますので窓辺の時間潰しにでも。

 

裏ブログなので洋服につなげて着地しなくて良いのがホント快適笑。

それではまた次回。