ハシグチカンジの枝葉末節

某ブランドの京都アトリエショップに大体いるメガネです、以前は御所南Dewey&二条木屋町UNITでした。

柿と梨。

こんばんは。

日当たり良すぎるDewey、ようやく日中もニットを普通に着て居られるようになりました。しかしお日様の力というのはすごいですよね、燃料や電力で温めるよりも芯から温まっているのか、体が楽です。自転車での通勤の往復もいつもより薄着で平気なような気がします。とは言え、ボクは寝冷えで風邪菌を活性化させるきらいがありますので、毎日油断の無いようにしなければ。もう5,6年連続で年越しに発熱して休みを棒に振っております、一昨年はそのおかげて映画を20本くらい観られたので、それはそれで楽しかったのですが笑。

諸々のバイ菌さんが猛威を振るう今年の冬、必要以上にうがい手洗いをしましょうね。順番だと手洗い→うがいですね。

余談ですがうがいって"嗽"なんですよね、夏目漱石で有名な漱石枕流の"漱"が「すすぐ」「くちすすぐ」と読み、"嗽"は「くちすすぐ」「うがい」と読む。この使い分けは喉をガラガラするところなのでしょうか、でも漱もうがいと読むし、、まあ余談です笑。

 

ということで本日は柿と梨で思いついた、というか思わされた話です。

 

先日東京の友人が三泊程京都に仕事で滞在しており、2晩を一緒に過ごした翌日の昼にDeweyに訪れたのですが、その時に「ねえねえカンちゃん、柿食べる?」と言うので、「うんうん、でも果物ナイフ無いや〜、まだ足りないものだらけ。」と答えると、いやむいて持ってきたと。

 

 

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彼女、各メディアでコメンテーターとして活躍する、映画を撮ったりCM作ったり、エッセー書いたり絵を描いたりする人なのですが、東京で剥いた柿と梨をジップロックに入れて京都のボクに渡すわけです笑。まあ、食べるのを忘れてただけでしょうけど、ポイっと当たり前に渡すわけですよね。

え?剥いて持ってきたの?と思いはするのですが、反応するのも面倒臭いので、皿ないしコップに入れるわ〜というと、一緒に居たミュージシャンの友人が「カンジさんもやっぱ変だね、何にも思わないもんね笑」と。いや、思いはするけど、、腐ってなけりゃ食べられるし、新幹線とかで食べるつもりのを忘れてたんでしょ、相手がボクで油断してるからだろうし、、その辺りの想像はつくしまあ本筋には関係ないからね。なんて答えると、カンジさんぽいなんて言われるのです。家人にもそれは言われます、そういう感情表現が薄いそうです笑。

まあ普通はそのまま持ってくるor剥いたものは出さない、そうなるところでしょうし、実際逆の立場ならそうはならないでしょうね。

それに近い話だと、先輩筋を辿ると行き着く、日本の男性ファッションを作り上げた大巨人の息子さん。息子さんなんて呼ぶのはおこがましい、通称"先生"と呼ばれる方なのですが、その事務所にチラッとお邪魔した際、ごく当たり前のように「甘納豆食べる?」と訊かれました。当時30前後だったボクは全く好みでもなんでもないですが、すごい人にそう言われて、愛想でポツポツ食べました。その1回きりしかお会いしてませんが、その力の抜け具合を今思い返すととてもカッコイイ。

例えばミュージシャンや我々業界でもちょっと抜けた方、そんな皆さんとご一緒したりする時も、種類の豊富なバーに行ってもいいちこを美味しそうに飲んでたり(置いてるバーもある意味すごいですが)、高名なコンサル業の方がスーパーの安い食品を買い続けてたり。

そういうのを垣間見ると、好きなことで頭ひとつ抜けている人の純度ってすごいなあと思います。もちろん、いわゆる一般的な人の中にも、好きが純粋な人もそのパターンが多い。

 

ボクも好きを伝えるのが仕事だし、好きだからこやるべき仕事を選んでるはずなのですが、色んな場当たりを少なからず考えて、自分の思う事のアウトラインを滲ませ、ぼやかしつつ過ごしている様に思います。

自分の是と思うことを真っ直ぐに伝えるって、結構難しいですよね。世の中で是としていることを優先してしまう。ボクらの仕事はこの是を追求することだと思うのですが、その核心を続けるために違うこともしなければならないし、逆に違うことをするのが嫌だから核心が不安定になってしまったり。

洋服を売るのに、一番わかりやすいのは"最先端"や"流行"、"お買い得"や"ここでしか買えない"だったりするのですが、そうじゃない大切なものって沢山あるのですよね。その大切なものの中で、ボクが出来ることを自分で迷わない様にしなければなあ。

 

なんて、ジップロックの柿と梨に思わされました、なんやそれ笑。

 

それではまた次回。