Deweyカンジの枝葉末節

御所南のDeweyです。こちらでは脳内にある、お店フィルターにかける前のお話をしようと思います。

最近話に上がった本と我が家の観葉植物。

こんばんは。

 

たまに読んだ本のことでお話しする際、読書会で〜なんてことを言っております。最近サボり気味でしたが、今週の会に久々に出席しまして、普段にない会話になり中々面白かったのでちょっとお話ししようと思います。

読書会にも様々あるようで、ゴリゴリの研究肌の集いだとレジュメを用意してなんてことも耳にするのですが。ぼくが参加しているものは全部緩めのものばかり、目下メインで稼働しているものは居酒屋の個室で酒を飲みながらグダグダ話すという感じ。ほとんどの回は小説がお題。自分じゃ選ばないものなんかが出てくるのも会の醍醐味であったりするのですが、今回は珍しく時事ネタを扱った対談本。

 

 

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「むずかしい天皇制」、社会学者の大澤氏と憲法学者の木村氏が展開する会話をまとめた物です。読んだ方はいらっしゃいますでしょうか、そうでなければこちらのリンクであらましをご覧ください、ぼくが訥々とご説明するより良いでしょ笑。

割と繊細なお題ですし、普段友人知人と話する事のあまり無い内容、でも全員に関わること。こうやって自分でタイプするとなんだかグッと刺さるような気もします、、そんなテーマですので普段とは違うベクトルで参加者の観念的な部分を垣間見るようで面白かったです。参加者で自営業で店舗をやってるのはぼくだけ、出版系や研究系・技術者系が他の参加者で、それぞれ子供の頃から大人になり触れてきた物でその捉え方があり、こうやって1億2千万通りの考えがあるんだろうなあと、盃をクイっとやりながら眺めておりました。

その議論(雑談)は私的な物ですし、代弁できる物では無いのでここではここでは触れませんが、ぼくが読んで思ったことを少し。というか、、、読んで考えが変わったということは正直ありませんでした、それくらい皆がそれぞれで固定化した天皇制のイメージを持っているのかもしれません。

僕としましては、、まずいわゆる戦後の日本人的感覚について。ぼくは昭和49年早生まれ、学年としては48年で第二次ベビーブームのど真ん中、団塊ジュニア世代ですね。学生運動浅間山荘がちょっと前のことという感じでTVに話題が出ていたのが少年期、バブルがはじけて数年後に大学生になった青年期です。そんな世代の両親は大凡第一次ベビーブームあたりになるわけで、母はそうだったのですが、父は当時にしては結構年の差がありまして昭和ひとケタ。となると、父方の祖父母は明治生まれです。祖父はおそらく軍属に近いポジションだったのだと思います。占領下の台湾で高校(李登輝さんの出身校です)の教員・陸軍士官学校の教員をして、従軍もしています。写真を見るとふさふさの肩章の着いた軍服の胸に勲章という出立ち、戦争に行っても死ぬ順番は比較的後ろの方だったと思います。子供の頃少しだけ戦争の話をしてくれたように思いますがあまり覚えてません、それよりも台北での思い出を聞かされたように思います。祖父の書斎にはずっと教育勅語がかけられてました、そんな感じ。

父は万葉集が専門の大学教員、世代的にも三島由紀夫を好んでいた様子が見られます。とはいえ世代的には割と流行りに乗っかってたようにも見受けられます、ジャズが好きだし若い頃の写真を見ると結構洒落たスーツを着ている笑。そんな祖父と父の続きですので、それなりに真面目なベクトルで育てられました、結果ドロップアウト、、しかしこの話は今回に関係ありませんので割愛笑。そんな家ということもあり、自宅には壁が見えない状態で本が積み上げられてましたので、出来が悪いなりに自ずとそれらに触れてきました(この辺りの話は以前にしたように思います、暇を持て余している方は履歴を、、)。なのでしっかり文系の学生に仕上がりました、仏教哲学や民俗学あたりでしたね。そして小学生から大学まで剣道部できっちり体育会育ち(とはいえバンドの真似事をしたりも、、)。そんなベースではありますが小学生の頃は子供の科学を定期購読、その後は月間ニュートンを読み、そっちの興味を持っていたというのもそれなりに血肉にはなっていそうです。そして一人暮らしスタートで色々崩壊(自由の翼を得る)、音楽や洋服や遊び、ここで明言するのは憚られることをしていた仲間も多くいます笑。

そんな感じですので、それなりにフラットだったり左右どちらの気持ちに近づくことも出来る、それとともに日本人の持つ和心が嫌いになれない、そんなおっさんに出来上がっていそうです。

この本に書かれているようなことも考えたり思ったりもします、実際きっちり日本人ですので。特に突飛な発想や思想があるわけでもなく平均的な日本人だと思います、寺社仏閣には積極的に手を合わせますし、年功序列に逆らうつもりも毛頭無い。

なのですが、、この話題については、結構なるようになるんじゃない??という気分です。その当時、おそらく憲法の"天皇は象徴"に代表される皇室の扱い自体が天皇制について定義された物ではなく、昭和天皇について定義されたものですよね。なのでここへきて色々考えなきゃで皆慌てる、でも慌てながらまだ時間が少しある。そして、、、まあ、次に問題起きたらその時に対処すれば良いかぁ〜、という先延ばし。でもそれで良いんじゃないの??と思うんです。実際ずっと続いてきた体制といえばそうです、他国に類を見ないことです。なので切実に国の存在を左右することではありますが、、が、です。ちょっと日本から離れて他の国を思い起こしてみると、、何百年続いている国って無いですよね。もちろん文化として各国脈々と続いたものがありますが、国家としては全てそれほど長くはない。日々の暮らしの中だと、そういうことって昔から続いてるように思いますが、引きで見ると割にあやふやな物ですよね。あと100年すれば今の世界の形なんてガラッと変わってて、GAFAの支配する国家みたいなサークルに皆が属していると考える、それはそれで結構まともな考えなんじゃ無いかなあと思います。

最後の精神的拠り所として日本には皇室があり続け、それを掲げながら鎌倉以降武家が執政して200年前まで続いてきた。その後の室町・江戸幕府も鎌倉の伝統を受け継ぎ、正式な姓は源で全員源朝臣です、氏が足利と徳川。そして天皇の周りには姓が藤原で氏が三条さにゃ九条さんや近衛さん達が固めてこれまで来ている。中興の武家でさえ家門の伝統に縛られてきました、一旦出来上がった権威を潰さず使い続ける、物事がドラスティックに変わらない循環的な精神、それが侵略されない島国の我々には刷り込まれてる。もちろん引き継いでいる人が総理になったりはしてますが、明治政府でその体制も一応は終わりを迎えてます。なので、天皇制も終わりじゃなければ続くだろうし、終わりがくるなら来る、それくらいでその時々で考えれば良いのじゃ無いでしょうか?

という先延ばし丸出しの意見です笑。

 

そんな感じでなぜ続ける?その所以はどこにある??なんてことを、あーだーこーだ言って宴もたけなわになった頃、ちょっと雑な例えをぼくが言ってみました。

 

その町のみんなか好きな、十代以上続いている老舗料理屋があって、継ぎ足しのタレで作ったうなぎが看板商品。これをどうしましょう?というようなことを言ってみました、、、笑。ちょうど読書会の場所が、ぼくとメンバーの先輩がいつもお世話になってる、80年以上の有名な居酒屋さんだったので、

「先輩はいつも刺身と湯葉だし、ぼくも長年食べすぎて最近食べられなくなってしまったシメ鯖、ここといえばシメ鯖って皆言うでしょ?、常連ベテラン組はあまり頼まないかもだけど。その日に注文しようがそうでなかろうが、これがこの店の代表メニューだと思ってる人が大多数。それをもし次代の大将がメニューから外そうとした時のことを想像してみたら、この話がわかりやすくなるんじゃ無いですか?。先輩みたいに食べない人はそれでいいでしょうし、僕みたいに今食べない人はまあ無くなっても仕方ないと思える。でも毎回食べる人はもちろん嫌だろうし、たまに食べたい人は淋しいと言うでしょ。」

こんな感じで話してみると、みんなが"おお〜、その例えしっくりきた〜!"と喜んでくれたのが今回のぼくの成果でした笑。

と言うことで、鯖が絶滅して酢が作れなくなった時の日本人に考えてもらおうと思います笑。

 

やはり何かが変わるということを好まない人は一定数多く存在するのでしょうね。その方向と近いところにありそうなのが、無くなるということ(いわゆる侘び寂び的な移ろいを愛でる心)を受け入れず、永続的なものをぼくらはインスタントに好んでるのかもしれません。

 

 

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我が家のコウモリ蘭、日当たりと室温のバランスが良いのかすこぶる元気。グリーンは好きな方なのですが、我が家の場合2階のリビングが唯一の生息環境を提供出来る場所。なのでワサワサ育てる訳にもいかないので、

 

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こんなサボテンなどを。買った時は寡黙なヤツだという説明を受けたのですが、なんだかムキムキ伸びてくる、、笑。

 

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一昨日に友人にもらったアガベ、成長が楽しみです。

 

というこれ。

 

こんな感じの観葉植物が各ご家庭の主流でしょうし、ドライが流行したりもしてます。これって、切り花を飾るという行為を端折ってるともいえるのだと思います。ドライも元々枯れてる(厳密には違いますが)ので水やりしなくていいし楽だし、枯らして買い替えなくて良いという気持ちもあると思うんです。

こういうところにも生死や無くす・移ろうということを忌諱する感覚が現れているように思います。

鴨川の野草を積んで飾っているおばあさんと仲良くなったと、園芸雑貨を扱う友人から友人から聞いた事があります。素敵ですよね。

 

そういう行為で、物事の成り行きを体感出来るのかもしれません。

 

ちょっと真面目風味で本日のエンディングを迎えてしまいました、、、。

今度は軽薄な話でもしたいと思います笑。

 

それではまた次回。