ハシグチカンジの枝葉末節

某ブランドの京都アトリエショップに大体いるメガネです、以前は御所南Dewey&二条木屋町UNITでした。

リーチ先生でなんだか色々と。

お久しぶりです。

前回は去年でしたね、なんやかんやしてるともう2月、恐ロシヤ帝国ですよ。

一応インスタのイラストページはちょこちょこ更新しております、もっと楽に更新できると思ってたのですが、割合に細かく描いてしまって今更後に引けず難渋しております笑。

 

先ずはDeweyの情報、目下新しい商品を仕込み中でございます。そろそろ表立って話しても良い頃なのでここでひっそり申し上げますと(ひっそりかよ笑)、、ジーパン作ってます、素晴らしく普通のジーパン。恵比寿のお師匠と岡山デニムのオリジンな会社さんとの共同作業、今後このパターンでの商品が増えます。ベーシックカジュアル側の商品を安定供給出来る様にという目論見、同じものがずっとあるという安心感を自分たちで更に。今後他の物もリリース予定。買ってくださいね、安定供給は皆様のお財布にかかってます笑。

 

そんなこんなで久々に生地サンプルや指示書を睨みながらミーティングをしておりまして(という雰囲気を、ぼくは出してるだけ笑)、なんとなく自分がもの作りに加わるとしてどういうポイントを大事にしなければならないのかなあと、己が考えに思い巡らせたりもしてました。

まずぼくが好きな洋服でも自転車でもその他のものでも、大前提として一点物ではなく工業製品であるというのがあるようです。同じものを同じクオリティで作り続けるってすごくないですか?。乱暴に言えば、一点だけ作って、それを味だという逃げが許されない。そういう意味では工業製品としての代表格とも言えるのがジーパン、手縫いのジーパンなんてありえないミシンの産物、世界中の人が同じように着てかっこいい物の代表格。イブ・サンローランは"ジーパンを俺が発明出来なかったのが残念"と言ったそうですが(うろ覚え)、そりゃあゴリゴリの作業着ですもんね。ぼくはそのジーパンから洋服の世界に入ったのですが、そういう既製品がそれぞれの形に馴染んでゆく魅力を若い時に感じたのかも知れません・・・・知らんけど笑。

 

ぼくはそうでしたが洋服なんて千差万別、作業着〜オートクチュールまで付き合い方は人それぞれ、制服や民族衣装だってそうですよね、簡単には言い表せない。そこで、日本人にとって性別問わず一番手のおしゃれ代表なとこってどこだろ?と思うと、やはり思いつくのはコムデギャルソン。ぼくのコムデギャルソンのイメージって、利休なんですよね。ぼくの知る限りこのあたりの視点で言及していらっしゃる方がほとんど見当たらないのですが、、きっと意識してると思うんです。そしてサブブランドのトリコは古田織部、バランス的にそこを狙ってるとしか思えない。

・・・・う〜ん、、偉そうに言いましたが、みんな気づいているように思えてきた、、気づいてないとは思えない、、、笑。

 

そんな感じで過去に触れたことのある利休や織部の本や記事を再確認したりを楽しんでたのですが、おりしも直近の読書会のネタが

 

 

f:id:bridge_middle_works:20220206165040j:plain原田マハさんの「リーチ先生」、こちらは柳宗悦の盟友で民藝の担い手。利休&織部の時代から一気に400年進みますね。

中々面白かったです、読み解く深さがほにゃららというような感じは全くないのですが、民藝のルーツを知るのにちょうど良い、再現ドラマを観る感じで読める本でした。

小説序盤にも描かれてるのですが、リーチは自分の道を探している若い頃に小泉八雲a.k.aラフカディオ・ハーンの"日本の面影"を携えて旅行をしたそうで、曽孫の小泉凡氏もそれに言及してらっしゃいます。ぼくも久々に読んでみたくて引っ張り出しました。

 

 

f:id:bridge_middle_works:20220206165240j:plainひょっとすると一緒に読むとその当時の日本の空気感がグッと近づくかもしれませんね。ぼく自身も子供の頃に小泉八雲に出会いそれなりに影響を受けました、改めて考えると読書という行為に目覚めたのは小泉八雲がきっかけかもしれません。

10歳前後の頃だったと思うのですが、NHK小泉八雲の半生を描いたドラマがありました、嫁の節子役は壇ふみさんでした。片目が潰れ着物を着た白人さんが主役というのが幼心に衝撃で、明治の文明開花と日本に憧憬を持つヘルン先生(ハーンに対して松江の人は今でも親愛を込めてヘルン先生と呼ぶそうですね)の対比を面白く感じました。その中で怪談のミニドラマもあったのですが、そこで演じられていた耳なし芳一の映像が今でもぼくの芳一のイメージです。

 

閑話休題。そして白樺派との交流や英国に帰っての活動をメインに描かれ、その後晩年へと描写されていきます。個人的に面白かったのが岸田劉生の出オチ感笑。と言いますのも、後に白樺派となる柳宗悦武者小路実篤らとの初対面のシーンで、最初に自己紹介するのが岸田劉生で、その後ほぼ出てきません。薪集めで一回出てきたかな?それくらい。日本画壇の巨星を雑に使ってる感じが良かった笑。実際仲間同士の彼等からするとお互いがそんなものだったのかも知れませんね。そしておりしもPART2、

 

 

f:id:bridge_middle_works:20220206165833j:plain先週から京都国立近代美術館で収蔵記念の岸田劉生展が開催されました。白樺派&リーチとの関わりについてどんな感じなのか?と多少期待を込めていったのですが、やはり草土社との関わりが色濃く感じられました。芝川コレクションも展示されてたのでそういう方向だったのかも知れませんが、やはり円熟期に至るまでの過程から晩年までを考えるとそれが素直なんでしょう。とはいえリーチのスケッチとエッチングが3点ありました、リーチがエッチングを彼等に教えたそうなので、やはりお互い影響しあっていたのでしょうね。

 

閑話休題PART2。

基本的には架空の人物である弟子の亀ちゃんとその息子が狂言回しというスタイル、彼等が読者に寄り添う形で物語が進められていきます。その背景は小鹿田焼ですが、なんとなくモデルとして松江の湯町窯の福間家が存在するように思われます。リーチは全国行脚の際に小鹿田と同じく松江にも訪れ、先代がリーチ指導の下エッグベイカーを完成させたという実話があります、それがモデルになってるのでは?というぼくの予想笑。

まあそんなこんなで、高村光太郎柳宗悦との交流や友情、濱田庄司との信頼関係を素直に描いた爽やかな小説でした。元々雑器として扱われていた地域の焼き物に価値を見出した(付け足した)のが民藝、その主義を曲げず名入れを一切しなかったにも関わらず結果的に人間国宝になってしまった濱田庄司と、それなりに野心があったとされる河井寛次郎、それぞれに対するリーチの距離の違いも面白かったですね。アートキュレーター出身の原田マハさんだからこそ描ける物語。一つ物足りなかったと言えば、、、用の美を唱え、飾りものにしない食器を追い求めたリーチし対する描写のなかで、食事のシーンがあまり掘り下げられなかったところが気になりました。朝刊連載の小説だったということで、その構成が目立つ組み立て、食事のシーンを加筆しつつ改訂版が出たら本当に美しい作品になりそう。。。と、ちょっと偉そうなことを思ってしまいました笑笑。

前述の小泉八雲もそうでしたが、高村光太郎という名前も子供の頃を思い出させました。鹿児島の祖父宅の広間に高村光太郎の"道程"全文(教科書等に掲載してるのは間を端折ってすっきりさせたもの)を記した大きな額が飾ってあり、なんだこれ〜と毎夏見上げながら寝転んでました。父に確認してもらってこようかなあ笑。そんな感じで自分の少年時代に感じた日本の憧憬を思い出せたのも本作と出会えて良かったこと。

 

550ページ程ある分厚い文庫本でしたが、ぼく、読書会前日の15時〜11時で読み切りました笑。それくらいスーッと読み進める作品ですので気の向いた方は是非。

 

しかし、そうなんですよね、リーチが追い求めた用の美。これってぼくらの扱うリアルクローズも同じなんですよね。飾る器ではなく使った時に美しさが際立つ器、それ同様に着飾ることを目的とせず自分の生活に寄り添ってくれる洋服。使い込んだ先の結果カッコよくなったり愛着が増したり。利休にしてもある意味そうですよね、全ての無駄を排除した先の黒に行き着く。シンプルさや道具としての歴史の上に成り立っている洋服が好みのDeweyとしましては、そういう先達の足跡も勉強すべきなのかもなあと思ったり、当に温故知新です。差し詰め全身モノトーンでも靴下だけ赤くしようとかっていうのは、古田織部イズムの継承かも知れません笑。

 

久々にジーパンに関わることになるタイミングで利休やリーチを考えるという、その絶妙さがなんだか嬉しかったです笑。

 

そして、なんだかんだでルーツを追うとなんでもある京都、そこに住むと近くに何かある。

 

 

f:id:bridge_middle_works:20220206165900j:plain数年前まで住んだ北山通には古田織部美術館。

今の通勤経路には、

 

 

f:id:bridge_middle_works:20220206165917j:plain表千家の不審庵があり、

 

 

f:id:bridge_middle_works:20220206165938j:plainその東には尾形光琳とその弟初代尾形乾山墓所(リーチは7代尾形乾山を襲名)

 

 

f:id:bridge_middle_works:20220206170136j:plain南に行けば楽焼の楽美術館。

 

 

f:id:bridge_middle_works:20220206170158j:plainそのまた東に武者小路千家の官久庵。

 

勝手に親近感を得させる街、京都笑。

 

因みにぼくは本日で48歳、寅の年男です。"羊質虎皮"にならず、"虎は死して皮を留め、人は死して名を残す"ように、良いジーパンをリリースしようと思います、名を残すとかはいまいちわかんないです笑。

 

とりあえず、、同じ寅年の森鴎外でも読み直すか〜笑。

 

ではまた次回。