ハシグチカンジの枝葉末節

某ブランドの京都アトリエショップに大体いるメガネです、以前は御所南Dewey&二条木屋町UNITでした。

夏の終わりを感じる頃、無駄話を。

こんばんは。

 

皆さんは日々の暮らしの中で知らず知らずのうちにしている事といえば何でしょ?

僕の場合、よく奥さんに言われるのが、表情のベースが不機嫌である、ということ笑。

何もせずにいると、チビは大概「なあなあお母さん、かんじー(僕のこと)怒ってる?」と口パクで尋ねている様子、そろそろ慣れろ笑。

 

まあ、、よっぽど面白くなさそうな顔をしているのでしょうね、お店にいる時は一応仕事モードですので多少口角が上がって目尻が柔らかいのでしょうが、スイッチオフで表情筋を解放すると怒り顔になるのでしょうね。とはいえそれなりに脳は動いております、結構いつも考え事をしている、むしろ考え事をするのが趣味みたいな部分もある。

その考え事も、しょうの無いことからな何の得にもならない壮大なことまで、でもこれって皆さんもそうじゃないですか?

 

例えばTVのバラエティ番組がだらっと流れている時、これがまあ感情ゼロの顔つきなんだそうです笑。その時に考えている事といえば、「どれみても金と食い物と美容と動物やん。他にやることないんかいな、とろとろ〜・柔らか〜・プルプル〜・ふわふわ〜、ゴージャス〜、全部これで済むやんけ、そのうち日本語消えるわ。」とか笑。

昨日考えたことといえば、「何故う◯ちは臭いのかなあ、あれを臭いと感じるように設計されてるからだろうし、良い匂いと感じたら何がマズい?。クサヤとか納豆とか紙一重(人によっては越えてる)ものとかウイスキーとかの熟成系、香木や動物系の香水だってどうなのよ?」ということ等々。

最近考えていためんどくさい系の話といえば、「"時は金なり"というけど、そりゃそうよね、どっちも人間が考えただけの概念だし。金は物の代わりの価値を想像させるポジションでスタートして、現在お金ですら形がなくなっている。時間が大切というけれど、その物差しで動くのは人間だけだしそれも形の見えないもので、物理の方程式から素粒子の計算に至ると、時間の単位(t)が消えて無くなる。地球上に無い架空の存在が時間とお金、それに振り回されるのが人間社会で、それがいやでも人間である限り無理。どうやったら人間やめられるんやろ?」とか。これは悲観しているわけではなくて、考え事をして想像を膨らませているだけです、まあこんな風に考えることにしても妄想の中の幻想なので空虚です。

 

そうやって考えると最初に言ってた美容もアンチエイジングが主体ですから、結局金と時間の作用を測るグラフになるわけで、やはり人間は人間が長年かけて作った妄想が大好きなのです笑。

 

考え事をしていると、ほとんどの事柄がこんな感じの答えにならない着地(すらしてませんが)点に至るのです。そこで思い出すのが"唯識"という思想。ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、これは大乗仏教の考え方の中の1つで、瑜伽行唯識学派(ヨーガチャーラ)が唱えた教え。

学生の頃はこれを考えることが本分でした。この世界は一人一人のイメージにしか過ぎない、目に見えている物の正体は空虚で、突き詰めるとこの世界は"無"でしか無い。その"無"を作り出すものすら存在する、あ〜も〜どうしたら良いのよ〜??と、延々考え続けるのです、もはや厨二病であると思ってます。この説明ではちょっと乱暴すぎますよね笑。

 

先ず人間の感覚には眼識・耳識・鼻識・舌識・身識の前五識がある、これは所謂"五感"と言い換えても良さそうです、西洋の場合この先は"第六感"となるわけですが、大乗仏教の場合まだ3つあります。6つ目が"意識"、普段我々が使っている意識と同じだと思って差し支えないと思います。ここまで6つが自分で感じられる"識"ということ。

その奥に"無意識"が潜在しているのですが、それも2段階になっておりまして、7つめに"末那識"が登場。寝ている間は消えているのですが、活動を始めると自分のことばかり考える気持ちがガサガサと動き始めるということらしいです。そして、その先の最も奥深くに"阿頼耶識"がドンとあぐらをかいてます、これが根本的な黒幕、正体です。こいつがせっせと前の7つを(自分&他者)コネコネして形成し、世界を構成している。

 

いや〜、訳分かんないですよね笑。ですがざっくり言えば、末那識のみに身を置く(寝ている)状態を永遠に続けるのが死であり、それを悟りの境地(涅槃)とするのが仏教の考え方、だから葬式をお寺でする、と思えば何となく腑に落ちるでしょ。「おじいちゃん、この世で生きる上で色んなしがらみがあって辛かったでしょうけれど、もうそこから解脱したんですよね、もう悟ったパイセンです、マジすごいっす!」ということで線香を焚いて手を合わせるわけです。

 

脱線しました、これ脱線なんです、ここで終わると唯識じゃない笑。

世の中は個体(個人)が構成したもの、人も動物の水木土も金も、那由他無量大数の存在ごとの主観によってでしかない。ということは客観ということが有り得ない。その個体は全て生まれて滅んで移ろい続ける(無常)、結局実体をキープし続けるものなんでこの世にはない、この世ですら無い。これがよく聞く"色即是空"ですね。

しかし、、、"空"ですら存在してしまう空っぽという事象がありますので。その先にある"無"にしか何にも無いとしか言いようがない。しかしながら無ですら対極に"有"が存在します、その有の発生原因は・・・心?、心の正体は、、、識??

あれ??元に戻ったヨ。

 

厨二病っぽいでしょ?、実はまだ阿頼耶識の奥に"種子(しゅうじ)"というカテゴリーが出てくるのですが、もはや説明が出来ているのか何だかわけわからなくなってますので、もうギブアップ。

そして最後に出てきた"心"、これだけが形として存在するということになるのですが、それも空なんだよと考え、さらに「法(自然の摂理)だって空だぜ?。ぜ〜んぶ空で、我空法空なんだぜ、どうだい??」なんてことも、大乗仏教には言われちゃうのです。

 

ほんとわけわからん、何を言いたくてこの話を始めたのかも分からんです。

あ、着地点の無いことを考えると思い出す話でしたね、見事に着地点見失ってるでしょ??笑。

 

まあ真実が1つならば、いろんなことがこんなに複雑にならないですよね。

何にせよ、こういう仏教の教えも各時代の社会情勢に合わせて変化して宗派の分裂を繰り返しているわけですから、宗教思想だって流行り物です。そういう意味では洋服の好みと一緒、見る角度が変われば「何?地味、だっさ。」と、Deweyの商品を見て思う人もいるわけです。アメカジという宗教の中でも色んな宗派があるわけです。

 

答えなんて出ないですよね〜ほんと。仕事でも人間関係でも、何でもかんでも答えを探すけどそんな物は無い、探し続けるのが答え。

インスタなんかでも「これが正解!」なんて具合の商品紹介やコーディネイト例をよく見ますが、あれを言える根性が本当に欲しい!!!!笑。

 

日々修行です。

 

子供の頃から剣道のお師匠に「真ん中真っ直ぐでドンっと面打ったら良い、真っ直ぐ入って振りかぶってどん!!」ばかり言われました、テクニカルなことが出来ずに大人になりました。なのでそれが影響して不器用な営業スタイルのお店を作ってしまいます。と、ヒトのせいにして話を終わらせようと思います笑(ほんとはこの教えのおかげで今もあると思ってます)。

 

あ、真実がありました!!

チノパンは正義です!!!!

 

お後がよろしいような体で、また次回、、、笑。

 

 

今年の夏、毎日の着替えで思ったこと。

こんばんは。

 

京都は五山送り火も終わり、今月は地域の地蔵盆地蔵盆地蔵盆が各所でわいわいする様子が見られます。出勤時に自転車で走ってると京都のお地蔵さんの数に驚かされます、曲がる度に地蔵盆やん、という気分になるくらい。場所によっては子供が居ないからなのか、昭和歌謡以前の松尾和子だか鈴木三重子見たいのを合唱しているところも笑。

京都は町衆文化が根付いている為か区民運動会とか地域の行事が盛んで、一人暮らしの時は全く気にしなかったのですが、家族で暮らすようになると地域からのプレッシャーをじんわり感じてムズムズします笑。

明治に学校令が発布される前から自力で小学校を作り、その中に火の見櫓を建てて団結していた名残なんでしょうね。城下町の無い日本の都市って京都くらいですよね、商人文化とされる大阪でさえお城持ち、京都人の特異性というのは日々の生活の中にも散りばめられてるのでしょうね。おそらくこれからも京都で生きいてゆくのでしょうが、30年住んでも京都人とは思えないし言えない、それも日々感じます。

決して悪口ではありませんので笑笑。

     

そしてタイトルのお話。

時折自分の洋服の話をさせていただいてます、所有するTシャツの色や形の比率とか、こんなパターンが楽であるとか。その流れなのですが、今年は例年に増して楽をしている夏です、正直言って本当にひどい!!!!笑。

と言いますのも暑さが本格化してからこのところ、PROPPERのカーゴショーツを、ネイビーとオリーブを毎日交互にはいてる、、だけ、、、、、笑。ですがその中で見えてきたクセが結構使えるのでは??と思い話題にしてみました。

と言いますと、オリーブをはく時のトップス選びは白・グレー・ネイビー・ブラック・ブラウンと、なんでも合わせるのですが、ネイビーの時はネイビーが殆どという偏った着方になってました。まあ、、、偏ってるだけなのですが笑、おそらくこれはネイビーはモノトーンにしやすいという事なんだと思います。

夏の場合、ブラックのモノトーンは暑苦しいし・オリーブのモノトーンはモタっとするし、白のモノトーンは本来やりやすいけどショートパンツだとなんだなかあ〜だし。そういうところをネイビーというのはヒョイっと越えられるんだなあと思いました。

これは個人的にも結構発見でした、実際に去年までは白Tとネイビーのショーツというのが自分のベースでした。今年はネイビーを意識するという通年目標がありましたので、今まで避けてきたネイビーのTシャツを着てみたら実感として発見を得ました。「黒と白だと汗じみが目立たないし」という気分で2色ばかりを着てましたが、「汗じみなんてもう良いや〜」と振り切ったら、良いことありました笑。

 

ということで益々ネイビーモノトーンのお勧めに自信が湧きました、ということでこの先の季節もお勧めいたします。

 

今日はあっさり目で笑。

 

紺屋のインディゴパンツ。

こんばんは。

お久しぶりです、間が空くにも程があるDeweyの裏ブログ、ご覧いただいてる方はいらっしゃるのでしょうか笑。

    

    

  

2022年に入ってからインディゴやデニムの商品が結構増えてます、Pt.AlfredのインディゴチノシリーズやORDINALY FITSやFOB、そしてぼくもちょっと仲間に入れてもらってるPt.ALfredとBOBSONのコラボシリーズ。そろそろデニム(インディゴ)の話をちょっとしてみようかなあと思いまして。

テクニカルな話も良いのですが、今回はぼくのデニムに対する気持ちと付き合い方のようなことをお話ししてみようと思います。

    

まずはデニムを意識した原点、映画とかミュージシャンとかってわけではなく、実はカウボーイ、おそらく同世代からするとここがずれてます笑。

順を追って言いますと、、

    

幼少期に「荒野の少年イサム」という、テキサスで育つみなしご日本男児が主人公のアニメにハマる。

その後「ローハイド」という西部劇の再放送(クリント・イーストウッド出世作でモノクロ)にハマる。

カウボーイ好きだったよね、という気持ちをどこかに抱えつつ少年期を過ごす。

高校あたりでデニムをはいたバイカーファッションが流行る(ホットドッグプレス等)、同時にインディアンジュエリーも流行り(ゴローさんとか)、カウボーイで悪役だったインディアンに興味が湧き本を色々読む。

本を読み進めると、「インディアンより白人の方が悪いやん、大人って怖い。」と感じつつどっちもかっこいいなあと都合よく思った頃に、都合よくラストオブモヒカン放映(モヒカン族に育てられた白人がインディアンと良い白人と共に、悪い白人と戦う映画)。

とりあえずトニーラマのウエスタンブーツを買う。同時に古着を買うという文化に触れ、ウエスタンブーツに似合うジーパンを探すと、自ずとラングラーということになってしまう。

そこから掘り下げていくと、リーバイス&リーという正統派からズレて、ペニーズとかシアーズとかを集めることになってしまう。

古着に関わるバイトをする頃には、CPOジャケット+ブーツカットジーンズ+ウエスタンブーツというのがぼくの定番スタイルになり(微妙に流行りとズレるクセはこの頃から笑)、京都にいた元インディアンのおじいさんのところに入り浸り、ちょこちょこシルバージュエリーを貰うようになる。

    

というのが原初のデニム体験笑。それと同時にストリートファッション&ビンテージファッションの時代も到来し、もちろんその洗礼を受け、デニムに軸足を置いていたぼくは気づくとデニムメーカーに居ました、しかも2社笑。

学生の頃は関西圏だけでなく東京や名古屋のビンテージショップにも足を運びました、もちろん代官山・原宿の遊歩道・神宮前その辺りにも。それでも下半身はほとんどデニムだったような気がします。当時のストリートブランドでは千寿公久氏のスワイプオンザクワイエットというブランドが好きでした、千寿氏がカバーオールやペインターを愛用してるところにシンパシーを感じてました、勝手に。そういえば千寿氏はMTBもお好きで、当時憧れだったシュウィンのストレート8というダウンヒルバイク所有してらっしゃって、ほら〜やっぱMTB好きだからかっこいいんやんか〜と、勝手にシンパシー倍増でした笑。

それからもうちょっと大人になると、トラッカーキャップ・JKT・Tシャツ・ジーパン・オールスターというのがぼくの定番スタイルに。その上の世代を眺めると、ラムのデザイナーのピエランジェロ・ダコスティン氏がいつもデニムで上半身がエレガントなベーシックカジュアルというスタイル、ほら〜やっぱこれかっこいいやんか〜と、またまた勝手にシンパシー笑。

    

その後トラッドの勉強をしたりウィメンズも経験したりで今に至り、現在アメトラを通過した感覚のもと商品をおすすめするようになったのは、やはりベースにデニムがあるからなのかもしれません。普段それほど意識してないんですけどね、思い返すと必ずベースにデニムがあったということを自覚します。

    

デニムの魅力って何なんでしょうね。

何にでも合うとか・エイジングが楽しいとか、ハード面から考えて分析するのが正当なのでしょうけど、それと共に無言の存在感が大きいような気がします。

上手くいえないのですが、コーディネイトに悩んだ時に「じゃあジーパンでいいか。。」と思ってもそれなりにまとまるという守備的堅固さもありますが、「これはジーパンじゃないと決まらない!」という積極的な場面も多々生じる。その両方を兼ね備えた、攻守のバランスが取れているのがジーパンなのかなあと思います。

それと個人的に思うのは、インディゴが紺色だったというのも大きな理由だと思います。元々労働者のための染色であるインディゴが昇華されていったのは紺色の持つドレスにアプローチしやすい魅力が伴っていたからなのではと思います。単純に労働者用や乱暴系の生地を考えると、カーキやブラウン、ミリタリー系のオリーブだってそうですが、やはりポジショニングが違う。紺ジャケに対してカーゴパンツを合わせるのも王道コーディネイトになりましたが、やはりデニムとはニュアンスが違う。ダックのワークパンツはもっと遠いですよね。あ、、、そういう意味ではチノも優秀ですが、脱線しそうなので見えていないフリで済ませます笑。

    

欧米の労働者の洋服でスタートし、軍にも採用された後にヒッピー文化や若者に取り入れられ、後に全ての人に受け入れられるように成長したデニム。兎にも角にも付き合いやすく、文化的にもオーソドックスな存在となった。

答えが出たような言い方ですが、ちょっとくらいはここから先に進めそうなので話を続けますね笑。

    

場所を日本に限定します。ですが岡山を中心としたジャパンデニムの話は周知のことですし、それは今話したいことではないので今回はそっと横に。

インディゴを日本人的に捉えると"藍"になります、厳密には違う染料ですが大きく捉えると同じ、フライor天ぷらよりも近い存在なはず笑。

    

例えば"紺屋の白袴"ということわざ、染め屋さんが繁盛して自分の袴を染める暇がない、転じて他人の世話ばかりして自分のことがおろそかになるというような意味になったそれ。この紺屋の紺は藍染のことを指してます。近世の日本人にとって染め屋のことを藍染め屋で表すほど代名詞化されていたということですよね。

はたまた維新の手前、開国された日本の港に降り立った英国or米国の誰かが、日本の街や人は紺色で染められて美しいと日記に書いたそうです。うろ覚えですみません、しかしそういう印象を持つくらい着物や暖簾なんかが藍染めだったのでしょうね。

    

時代が行き来してしまいますが、もっと古い決定版をば。"勝色"という言葉があります。おそらく"かちいろ"とキーボードを叩くとまず褐色が出るかと思いますが、そもそもはそれに対しての当て字です。現代語だと"かっしょく"と読みますよね、想像するのは茶系のくすんだ色になると思うのですが、正しく言えば茶褐色となるはずで、本来褐色は濃紺(鉄紺)を指したのです。

平安期に貴族の下働き的存在だった舎人(武士登場以前の武官)が着ていたのが褐衣(かちえ)と呼ばれる藍染の衣、ザクザク&ザラザラの麻で作られた作業着です。そこから褐色という言葉が生まれ、その後鎌倉武士に引き継がれ"勝色"と変化、武士の色=紺色となったみたいです。

中世以降の日本は武家社会、ぼくらのイメージする日本文化ですね。武家にとって大切な色、一般庶民にも扱いやすい色、日本の色=紺色(藍色)となり、オリンピックなんかの代表色がネイビーになるわけです。

    

これだけの歴史的裏付けがあるわけですから、そりゃあ日本人に似合う。

   

そして日本人であるぼくの話も追加、ぼくのブログですからね笑。

こないだインスタでもちらっと触れましたが、最近剣道の稽古に復帰しつつあります。誇れるような経歴は全くございませんが、小学生の頃から剣道界の片隅に居させてもらいました。冒頭の西部劇同様、何故かその日本版的時代劇が好きな子供でした。刀のおもちゃを振って遊んでました、さぞ可愛かったことでしょう笑。そんな幼児期のぼくに、剣道の先生だった祖父が木刀の小太刀を与えました、これは遊びに使えないな〜と子供心に思った記憶があります。その後小学校に上がると共に自然と剣道を習い始め、大学まで。その後は年に数回、さらに数年に1回、色々あって皆無になるまで遠ざかってましたが、最近稽古をお願い出来る状況になり、中断してしまったことを悔やむ毎日です。これが本当に悔やまれるんです、夢に見るくらい笑。

    

    

もうね、着替えるだけで汗だく、基本打ちだけで息続かなくて板の上で溺れてます笑。そうそう、この2年はマスクを着けて稽古しなければなりません、それの外側にマウスガードも、さらに溺れやすくなっております笑。

しかしながら久々に向き合ってみると自分のダメさ加減がきっちり分かる、これがとても気分の良い事なんだなあと、若い頃とは全く違う醍醐味。目標は、怪我をしない事&真っ直ぐ攻めて正しい面打ち、これが出来れば気分良く老いに立ち向かえそうです笑。

 

そして、、、皆さんの予想通りのことを申しますが、剣道の道具で着装する物の殆どに藍染が使われている。最近は化学繊維の物が増えましたが、それでも藍染がやはり本分。思い返すと大人になるまで毎日のように藍染に触れていたということになります、めちゃめちゃ日本人じゃないですか笑。

剣道具って色々凝るポイントが多いのですよね、素材だと刺子・織刺・紺反・鹿革・鹿毛・黒ザン革・竹、染めだと藍はもちろん漆も。家紋をあしらう蒔絵もあったり。

やってない人からしたら訳の分かんないポイントがあったりします。手刺しか機械刺しか?、刺し幅がどうだとか、胴の胸のデザインや胴台(本体)裏側の竹が43本なのか50本なのか、垂れの段飾りが何段だとか。高級過ぎる物を使うと分不相応だし、安価なのを使うと弱そうに見えるし、でも試合の時はちゃんとしたいし、あ〜お金かかる〜!!とか笑。

そしてその道具を大切に扱うことも稽古の中に含まれていますし、道具選びも重要ですので、自ずと物に対するこだわり的な価値観が養われたのかも知れません。その中でも藍染を身に着けることがデニムへの足掛かりだったのかも知れませんし、正しい着装を求められることがベーシックな洋服好きの基礎になったのかも知れません。

    

こうやって復習すると、私の人生は結構インディゴまみれだわよ笑。

    

ぼくは「道具としての洋服をお勧めするお店」なんて言い回しをよくします、誇張してるような言い回しになりますが、これはインディゴ(藍染)に教えられたことだったりして。チノだってウールだってコットンナイロンだって好きですが、どこかインディゴはグッとくるんですよね。エコ贔屓とまでは言いませんが、幼馴染だから仕方がないよ〜とかそんな感じ笑。

    

    

    

とまあ、いつものようにまとまりの無い文章になってしまいましたが、、、引き続きPt.AlfredのインディゴシリーズやPt.Alfred×BOBSONもよろしくお願いします!!、ということを私情でダラダラとお伝えしてみました。

でもほんと、ちょっとインスタや表ブログの過去の投稿を見返してみてください、素敵なんですうちのインディゴウェア達は。

    

久方ぶりの投稿、これで大丈夫でした???笑。

 

 

 

 

リーチ先生でなんだか色々と。

お久しぶりです。

前回は去年でしたね、なんやかんやしてるともう2月、恐ロシヤ帝国ですよ。

一応インスタのイラストページはちょこちょこ更新しております、もっと楽に更新できると思ってたのですが、割合に細かく描いてしまって今更後に引けず難渋しております笑。

 

先ずはDeweyの情報、目下新しい商品を仕込み中でございます。そろそろ表立って話しても良い頃なのでここでひっそり申し上げますと(ひっそりかよ笑)、、ジーパン作ってます、素晴らしく普通のジーパン。恵比寿のお師匠と岡山デニムのオリジンな会社さんとの共同作業、今後このパターンでの商品が増えます。ベーシックカジュアル側の商品を安定供給出来る様にという目論見、同じものがずっとあるという安心感を自分たちで更に。今後他の物もリリース予定。買ってくださいね、安定供給は皆様のお財布にかかってます笑。

 

そんなこんなで久々に生地サンプルや指示書を睨みながらミーティングをしておりまして(という雰囲気を、ぼくは出してるだけ笑)、なんとなく自分がもの作りに加わるとしてどういうポイントを大事にしなければならないのかなあと、己が考えに思い巡らせたりもしてました。

まずぼくが好きな洋服でも自転車でもその他のものでも、大前提として一点物ではなく工業製品であるというのがあるようです。同じものを同じクオリティで作り続けるってすごくないですか?。乱暴に言えば、一点だけ作って、それを味だという逃げが許されない。そういう意味では工業製品としての代表格とも言えるのがジーパン、手縫いのジーパンなんてありえないミシンの産物、世界中の人が同じように着てかっこいい物の代表格。イブ・サンローランは"ジーパンを俺が発明出来なかったのが残念"と言ったそうですが(うろ覚え)、そりゃあゴリゴリの作業着ですもんね。ぼくはそのジーパンから洋服の世界に入ったのですが、そういう既製品がそれぞれの形に馴染んでゆく魅力を若い時に感じたのかも知れません・・・・知らんけど笑。

 

ぼくはそうでしたが洋服なんて千差万別、作業着〜オートクチュールまで付き合い方は人それぞれ、制服や民族衣装だってそうですよね、簡単には言い表せない。そこで、日本人にとって性別問わず一番手のおしゃれ代表なとこってどこだろ?と思うと、やはり思いつくのはコムデギャルソン。ぼくのコムデギャルソンのイメージって、利休なんですよね。ぼくの知る限りこのあたりの視点で言及していらっしゃる方がほとんど見当たらないのですが、、きっと意識してると思うんです。そしてサブブランドのトリコは古田織部、バランス的にそこを狙ってるとしか思えない。

・・・・う〜ん、、偉そうに言いましたが、みんな気づいているように思えてきた、、気づいてないとは思えない、、、笑。

 

そんな感じで過去に触れたことのある利休や織部の本や記事を再確認したりを楽しんでたのですが、おりしも直近の読書会のネタが

 

 

f:id:bridge_middle_works:20220206165040j:plain原田マハさんの「リーチ先生」、こちらは柳宗悦の盟友で民藝の担い手。利休&織部の時代から一気に400年進みますね。

中々面白かったです、読み解く深さがほにゃららというような感じは全くないのですが、民藝のルーツを知るのにちょうど良い、再現ドラマを観る感じで読める本でした。

小説序盤にも描かれてるのですが、リーチは自分の道を探している若い頃に小泉八雲a.k.aラフカディオ・ハーンの"日本の面影"を携えて旅行をしたそうで、曽孫の小泉凡氏もそれに言及してらっしゃいます。ぼくも久々に読んでみたくて引っ張り出しました。

 

 

f:id:bridge_middle_works:20220206165240j:plainひょっとすると一緒に読むとその当時の日本の空気感がグッと近づくかもしれませんね。ぼく自身も子供の頃に小泉八雲に出会いそれなりに影響を受けました、改めて考えると読書という行為に目覚めたのは小泉八雲がきっかけかもしれません。

10歳前後の頃だったと思うのですが、NHK小泉八雲の半生を描いたドラマがありました、嫁の節子役は壇ふみさんでした。片目が潰れ着物を着た白人さんが主役というのが幼心に衝撃で、明治の文明開花と日本に憧憬を持つヘルン先生(ハーンに対して松江の人は今でも親愛を込めてヘルン先生と呼ぶそうですね)の対比を面白く感じました。その中で怪談のミニドラマもあったのですが、そこで演じられていた耳なし芳一の映像が今でもぼくの芳一のイメージです。

 

閑話休題。そして白樺派との交流や英国に帰っての活動をメインに描かれ、その後晩年へと描写されていきます。個人的に面白かったのが岸田劉生の出オチ感笑。と言いますのも、後に白樺派となる柳宗悦武者小路実篤らとの初対面のシーンで、最初に自己紹介するのが岸田劉生で、その後ほぼ出てきません。薪集めで一回出てきたかな?それくらい。日本画壇の巨星を雑に使ってる感じが良かった笑。実際仲間同士の彼等からするとお互いがそんなものだったのかも知れませんね。そしておりしもPART2、

 

 

f:id:bridge_middle_works:20220206165833j:plain先週から京都国立近代美術館で収蔵記念の岸田劉生展が開催されました。白樺派&リーチとの関わりについてどんな感じなのか?と多少期待を込めていったのですが、やはり草土社との関わりが色濃く感じられました。芝川コレクションも展示されてたのでそういう方向だったのかも知れませんが、やはり円熟期に至るまでの過程から晩年までを考えるとそれが素直なんでしょう。とはいえリーチのスケッチとエッチングが3点ありました、リーチがエッチングを彼等に教えたそうなので、やはりお互い影響しあっていたのでしょうね。

 

閑話休題PART2。

基本的には架空の人物である弟子の亀ちゃんとその息子が狂言回しというスタイル、彼等が読者に寄り添う形で物語が進められていきます。その背景は小鹿田焼ですが、なんとなくモデルとして松江の湯町窯の福間家が存在するように思われます。リーチは全国行脚の際に小鹿田と同じく松江にも訪れ、先代がリーチ指導の下エッグベイカーを完成させたという実話があります、それがモデルになってるのでは?というぼくの予想笑。

まあそんなこんなで、高村光太郎柳宗悦との交流や友情、濱田庄司との信頼関係を素直に描いた爽やかな小説でした。元々雑器として扱われていた地域の焼き物に価値を見出した(付け足した)のが民藝、その主義を曲げず名入れを一切しなかったにも関わらず結果的に人間国宝になってしまった濱田庄司と、それなりに野心があったとされる河井寛次郎、それぞれに対するリーチの距離の違いも面白かったですね。アートキュレーター出身の原田マハさんだからこそ描ける物語。一つ物足りなかったと言えば、、、用の美を唱え、飾りものにしない食器を追い求めたリーチし対する描写のなかで、食事のシーンがあまり掘り下げられなかったところが気になりました。朝刊連載の小説だったということで、その構成が目立つ組み立て、食事のシーンを加筆しつつ改訂版が出たら本当に美しい作品になりそう。。。と、ちょっと偉そうなことを思ってしまいました笑笑。

前述の小泉八雲もそうでしたが、高村光太郎という名前も子供の頃を思い出させました。鹿児島の祖父宅の広間に高村光太郎の"道程"全文(教科書等に掲載してるのは間を端折ってすっきりさせたもの)を記した大きな額が飾ってあり、なんだこれ〜と毎夏見上げながら寝転んでました。父に確認してもらってこようかなあ笑。そんな感じで自分の少年時代に感じた日本の憧憬を思い出せたのも本作と出会えて良かったこと。

 

550ページ程ある分厚い文庫本でしたが、ぼく、読書会前日の15時〜11時で読み切りました笑。それくらいスーッと読み進める作品ですので気の向いた方は是非。

 

しかし、そうなんですよね、リーチが追い求めた用の美。これってぼくらの扱うリアルクローズも同じなんですよね。飾る器ではなく使った時に美しさが際立つ器、それ同様に着飾ることを目的とせず自分の生活に寄り添ってくれる洋服。使い込んだ先の結果カッコよくなったり愛着が増したり。利休にしてもある意味そうですよね、全ての無駄を排除した先の黒に行き着く。シンプルさや道具としての歴史の上に成り立っている洋服が好みのDeweyとしましては、そういう先達の足跡も勉強すべきなのかもなあと思ったり、当に温故知新です。差し詰め全身モノトーンでも靴下だけ赤くしようとかっていうのは、古田織部イズムの継承かも知れません笑。

 

久々にジーパンに関わることになるタイミングで利休やリーチを考えるという、その絶妙さがなんだか嬉しかったです笑。

 

そして、なんだかんだでルーツを追うとなんでもある京都、そこに住むと近くに何かある。

 

 

f:id:bridge_middle_works:20220206165900j:plain数年前まで住んだ北山通には古田織部美術館。

今の通勤経路には、

 

 

f:id:bridge_middle_works:20220206165917j:plain表千家の不審庵があり、

 

 

f:id:bridge_middle_works:20220206165938j:plainその東には尾形光琳とその弟初代尾形乾山墓所(リーチは7代尾形乾山を襲名)

 

 

f:id:bridge_middle_works:20220206170136j:plain南に行けば楽焼の楽美術館。

 

 

f:id:bridge_middle_works:20220206170158j:plainそのまた東に武者小路千家の官久庵。

 

勝手に親近感を得させる街、京都笑。

 

因みにぼくは本日で48歳、寅の年男です。"羊質虎皮"にならず、"虎は死して皮を留め、人は死して名を残す"ように、良いジーパンをリリースしようと思います、名を残すとかはいまいちわかんないです笑。

 

とりあえず、、同じ寅年の森鴎外でも読み直すか〜笑。

 

ではまた次回。

続くのか自信がないのでここでお知らせ。

こんばんは。

グッと寒くなりました、とはいえ昼間は結構過ごしやすく、朝晩と日中の寒暖差が身に沁みる12月ですね。どうせならずっと寒くなってくれる方が体があたふたしないと思うのは老化なのでしょうか笑。

 

こちらを更新するといつも3000字以上になるのですが、本日は短め。タイトル通りのご報告なのですがインスタページを新設しました、こっそり気づかれるのを待っておくつもりだったのですが、それだと性格上放ったらかしにしてしまいそうなのでここでお知らせして思うと思います(表ブログではお知らせしません笑)。

なんとなく夏のをことを考えてる時に、「やっぱプリントTでもやろうかなあ。。。」と思いまして。でもぼくがコントロールしているお店ってなかなかプリントTが登場しないのです。そんなに深い理由でもないのですが、プリントTは意思表示なので流行りやノリで店頭に並べたくないのですよね。サーフィンしないのにSURFとか、思ってもないメッセージとか。そうなるとメーカーさんの商品をセレクトしているDeweyにはハードルが高い、そんなに都合よく各ブランドさんがぼくの気分にフィットするものを作ってくれる訳が無い笑。

ということで、じゃあそろそろ何か作るか〜と思ったのですが、グラフィックデザイナーさんに頼むのもなんとなく気分にフィットしない。そこで思い出したのがiPadのアプリ。一昔前だとペンでデジタル画像を作るのは色々大変だったのに、アプリの進化は素晴らしいですね、イラレを使わなくても遜色の無いものが出来そうです(素人目に)。元々写真にテキストを付ける為に持ってたのですが、元々イラストを描くアプリ。ちょっと真面目に使ってみると、、これが中々楽しい笑。

ということで、これでDewey先生に命を吹き込み、京都を巡ってもらったり洋服を紹介してもらおうと思います。

 

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デューイ先生の日常 

いつものようにぼくの着用写真でご紹介するのはもちろんのデフォルトではありますが、

 

 

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こういうイラストの方が想像しやすいことや粒立つこともあるんじゃないかなあと思いまして。

 

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そしてぼくの上達のためという目的も、デューイ先生をちょっと若返らせて、ちょっと悪そうにしてみたりして笑。

 

よろしければお付き合いくださいませ。

 

 

最近話に上がった本と我が家の観葉植物。

こんばんは。

 

たまに読んだ本のことでお話しする際、読書会で〜なんてことを言っております。最近サボり気味でしたが、今週の会に久々に出席しまして、普段にない会話になり中々面白かったのでちょっとお話ししようと思います。

読書会にも様々あるようで、ゴリゴリの研究肌の集いだとレジュメを用意してなんてことも耳にするのですが。ぼくが参加しているものは全部緩めのものばかり、目下メインで稼働しているものは居酒屋の個室で酒を飲みながらグダグダ話すという感じ。ほとんどの回は小説がお題。自分じゃ選ばないものなんかが出てくるのも会の醍醐味であったりするのですが、今回は珍しく時事ネタを扱った対談本。

 

 

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「むずかしい天皇制」、社会学者の大澤氏と憲法学者の木村氏が展開する会話をまとめた物です。読んだ方はいらっしゃいますでしょうか、そうでなければこちらのリンクであらましをご覧ください、ぼくが訥々とご説明するより良いでしょ笑。

割と繊細なお題ですし、普段友人知人と話する事のあまり無い内容、でも全員に関わること。こうやって自分でタイプするとなんだかグッと刺さるような気もします、、そんなテーマですので普段とは違うベクトルで参加者の観念的な部分を垣間見るようで面白かったです。参加者で自営業で店舗をやってるのはぼくだけ、出版系や研究系・技術者系が他の参加者で、それぞれ子供の頃から大人になり触れてきた物でその捉え方があり、こうやって1億2千万通りの考えがあるんだろうなあと、盃をクイっとやりながら眺めておりました。

その議論(雑談)は私的な物ですし、代弁できる物では無いのでここではここでは触れませんが、ぼくが読んで思ったことを少し。というか、、、読んで考えが変わったということは正直ありませんでした、それくらい皆がそれぞれで固定化した天皇制のイメージを持っているのかもしれません。

僕としましては、、まずいわゆる戦後の日本人的感覚について。ぼくは昭和49年早生まれ、学年としては48年で第二次ベビーブームのど真ん中、団塊ジュニア世代ですね。学生運動浅間山荘がちょっと前のことという感じでTVに話題が出ていたのが少年期、バブルがはじけて数年後に大学生になった青年期です。そんな世代の両親は大凡第一次ベビーブームあたりになるわけで、母はそうだったのですが、父は当時にしては結構年の差がありまして昭和ひとケタ。となると、父方の祖父母は明治生まれです。祖父はおそらく軍属に近いポジションだったのだと思います。占領下の台湾で高校(李登輝さんの出身校です)の教員・陸軍士官学校の教員をして、従軍もしています。写真を見るとふさふさの肩章の着いた軍服の胸に勲章という出立ち、戦争に行っても死ぬ順番は比較的後ろの方だったと思います。子供の頃少しだけ戦争の話をしてくれたように思いますがあまり覚えてません、それよりも台北での思い出を聞かされたように思います。祖父の書斎にはずっと教育勅語がかけられてました、そんな感じ。

父は万葉集が専門の大学教員、世代的にも三島由紀夫を好んでいた様子が見られます。とはいえ世代的には割と流行りに乗っかってたようにも見受けられます、ジャズが好きだし若い頃の写真を見ると結構洒落たスーツを着ている笑。そんな祖父と父の続きですので、それなりに真面目なベクトルで育てられました、結果ドロップアウト、、しかしこの話は今回に関係ありませんので割愛笑。そんな家ということもあり、自宅には壁が見えない状態で本が積み上げられてましたので、出来が悪いなりに自ずとそれらに触れてきました(この辺りの話は以前にしたように思います、暇を持て余している方は履歴を、、)。なのでしっかり文系の学生に仕上がりました、仏教哲学や民俗学あたりでしたね。そして小学生から大学まで剣道部できっちり体育会育ち(とはいえバンドの真似事をしたりも、、)。そんなベースではありますが小学生の頃は子供の科学を定期購読、その後は月間ニュートンを読み、そっちの興味を持っていたというのもそれなりに血肉にはなっていそうです。そして一人暮らしスタートで色々崩壊(自由の翼を得る)、音楽や洋服や遊び、ここで明言するのは憚られることをしていた仲間も多くいます笑。

そんな感じですので、それなりにフラットだったり左右どちらの気持ちに近づくことも出来る、それとともに日本人の持つ和心が嫌いになれない、そんなおっさんに出来上がっていそうです。

この本に書かれているようなことも考えたり思ったりもします、実際きっちり日本人ですので。特に突飛な発想や思想があるわけでもなく平均的な日本人だと思います、寺社仏閣には積極的に手を合わせますし、年功序列に逆らうつもりも毛頭無い。

なのですが、、この話題については、結構なるようになるんじゃない??という気分です。その当時、おそらく憲法の"天皇は象徴"に代表される皇室の扱い自体が天皇制について定義された物ではなく、昭和天皇について定義されたものですよね。なのでここへきて色々考えなきゃで皆慌てる、でも慌てながらまだ時間が少しある。そして、、、まあ、次に問題起きたらその時に対処すれば良いかぁ〜、という先延ばし。でもそれで良いんじゃないの??と思うんです。実際ずっと続いてきた体制といえばそうです、他国に類を見ないことです。なので切実に国の存在を左右することではありますが、、が、です。ちょっと日本から離れて他の国を思い起こしてみると、、何百年続いている国って無いですよね。もちろん文化として各国脈々と続いたものがありますが、国家としては全てそれほど長くはない。日々の暮らしの中だと、そういうことって昔から続いてるように思いますが、引きで見ると割にあやふやな物ですよね。あと100年すれば今の世界の形なんてガラッと変わってて、GAFAの支配する国家みたいなサークルに皆が属していると考える、それはそれで結構まともな考えなんじゃ無いかなあと思います。

最後の精神的拠り所として日本には皇室があり続け、それを掲げながら鎌倉以降武家が執政して200年前まで続いてきた。その後の室町・江戸幕府も鎌倉の伝統を受け継ぎ、正式な姓は源で全員源朝臣です、氏が足利と徳川。そして天皇の周りには姓が藤原で氏が三条さにゃ九条さんや近衛さん達が固めてこれまで来ている。中興の武家でさえ家門の伝統に縛られてきました、一旦出来上がった権威を潰さず使い続ける、物事がドラスティックに変わらない循環的な精神、それが侵略されない島国の我々には刷り込まれてる。もちろん引き継いでいる人が総理になったりはしてますが、明治政府でその体制も一応は終わりを迎えてます。なので、天皇制も終わりじゃなければ続くだろうし、終わりがくるなら来る、それくらいでその時々で考えれば良いのじゃ無いでしょうか?

という先延ばし丸出しの意見です笑。

 

そんな感じでなぜ続ける?その所以はどこにある??なんてことを、あーだーこーだ言って宴もたけなわになった頃、ちょっと雑な例えをぼくが言ってみました。

 

その町のみんなか好きな、十代以上続いている老舗料理屋があって、継ぎ足しのタレで作ったうなぎが看板商品。これをどうしましょう?というようなことを言ってみました、、、笑。ちょうど読書会の場所が、ぼくとメンバーの先輩がいつもお世話になってる、80年以上の有名な居酒屋さんだったので、

「先輩はいつも刺身と湯葉だし、ぼくも長年食べすぎて最近食べられなくなってしまったシメ鯖、ここといえばシメ鯖って皆言うでしょ?、常連ベテラン組はあまり頼まないかもだけど。その日に注文しようがそうでなかろうが、これがこの店の代表メニューだと思ってる人が大多数。それをもし次代の大将がメニューから外そうとした時のことを想像してみたら、この話がわかりやすくなるんじゃ無いですか?。先輩みたいに食べない人はそれでいいでしょうし、僕みたいに今食べない人はまあ無くなっても仕方ないと思える。でも毎回食べる人はもちろん嫌だろうし、たまに食べたい人は淋しいと言うでしょ。」

こんな感じで話してみると、みんなが"おお〜、その例えしっくりきた〜!"と喜んでくれたのが今回のぼくの成果でした笑。

と言うことで、鯖が絶滅して酢が作れなくなった時の日本人に考えてもらおうと思います笑。

 

やはり何かが変わるということを好まない人は一定数多く存在するのでしょうね。その方向と近いところにありそうなのが、無くなるということ(いわゆる侘び寂び的な移ろいを愛でる心)を受け入れず、永続的なものをぼくらはインスタントに好んでるのかもしれません。

 

 

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我が家のコウモリ蘭、日当たりと室温のバランスが良いのかすこぶる元気。グリーンは好きな方なのですが、我が家の場合2階のリビングが唯一の生息環境を提供出来る場所。なのでワサワサ育てる訳にもいかないので、

 

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こんなサボテンなどを。買った時は寡黙なヤツだという説明を受けたのですが、なんだかムキムキ伸びてくる、、笑。

 

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一昨日に友人にもらったアガベ、成長が楽しみです。

 

というこれ。

 

こんな感じの観葉植物が各ご家庭の主流でしょうし、ドライが流行したりもしてます。これって、切り花を飾るという行為を端折ってるともいえるのだと思います。ドライも元々枯れてる(厳密には違いますが)ので水やりしなくていいし楽だし、枯らして買い替えなくて良いという気持ちもあると思うんです。

こういうところにも生死や無くす・移ろうということを忌諱する感覚が現れているように思います。

鴨川の野草を積んで飾っているおばあさんと仲良くなったと、園芸雑貨を扱う友人から友人から聞いた事があります。素敵ですよね。

 

そういう行為で、物事の成り行きを体感出来るのかもしれません。

 

ちょっと真面目風味で本日のエンディングを迎えてしまいました、、、。

今度は軽薄な話でもしたいと思います笑。

 

それではまた次回。

MTBの話で申し訳ないのですが、割とDewey的な。

こんばんは。

スポーツ自転車の進化が止まりません、って誰やねんという感じではありますが笑、進化だったり焼き直しだったりが乱立状態だなあと、一歩引き気味のおじさんはそう感じる昨今。世界的に見ると大人気スポーツの自転車、ロードバイク界ではビンテージバイクという観念は当たり前にあったのですが、最近マウンテンバイクでもその兆しが。ぼくはMTB好きですのでやはりその流れは気になります。

MTBで初めて量産されたスペシャライズド・スタンプジャンパーというバイクがぼくと同い年で47,8歳、その前からアメリカのヒッピーがやり始めたのを考えると50〜60年弱くらいでしょうか。ようやく半世紀を越えてクラシックバイクを楽しむという人たちが現れました、これはまあまあ最新のブームかも、Instagramの人気に連動して加速という風にも見受けられます。普及拡大の始まった90年代のバイクがその主役、欧米の人はそれをレストアして楽しんでいます。日本の市場はその頃の車体は少なくて悔しい。そして去年の引っ越しでその部類に入るフレームを誤って処分してしまってることを思い出して、まさに後悔先に立たず笑。

そんな感じで生ぬる〜くインスタで#retromtbを眺めて楽しんでたのですが、最近ついつい旧車を入手してしまいました、お懐かしい…お久しぶりですという感じ。うちのチビの通学用自転車に使うパーツをオークションで探したりしている途中、たまに自分の興味のある物をパトロールしてたら、あら??皆買わないのこれ??というのを見つけまして。躊躇していると相方が「おい、買え。」とお尻を叩いてくれたのでクリック笑。Deweyで売ってる洋服によくある価格なので、自転車として考えると全く問題なさそうなのですが、自分の物を買うとなると石橋を叩き割る癖がついており笑、うちの奥方様はそれを見かねているのでしょう。

落札したそのバイク、初見の時は皆買わないの?と思いましたが、よく考えると買わないはずです、まずはブランドが訳分からんのです。日本のMTBの歴史を体感していると記憶にあるかも??くらいマニアックなブランド、前出のスペシャライズドの日本のOEMを当時受けてた工場の物といえば、MTBファンなら"へえ〜"くらいには思うでしょう。けどわかりづらい、それでピンク色のフレームだしそりゃあ不人気笑。ぼくもそこまでだと手を出そうとは思わなかったはずなのですが、詳細画像を眺めるとパーツが良い状態。まあこれも別にいらないという人の方が多いかもしれません。そんな趣味性だけの自転車を買おうという人は限られてるでしょうし、自分で全てバラして組み付け出来る人ばっかでもないですよね。

でもね、ヤングな頃のぼくはこういうバイクを買えなかった、その思い出の回収です。

 

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このフォークなんてまさにそう、今のサスペンションフォークの基礎となったスコットのユニショック。今のサスフォークではあり得ないなで肩がセクシーです、ワールドチャンピオンのデカールも綺麗に残ってます。

 

 

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そしてシマノLXの560系コンポ、このレバー以外のパーツも分解清掃すればピカピカになりそう。94年当時で中間ランクのパーツ、それでも20歳のぼくには手が出せなかった。その5年後くらいにフルサスバイクを組んだ時は、頑張ってこれより上位機種を使いました。でもやはりこの頃のLXを見ると、あ〜欲しかったなあ、、、と遠い目になります。

そんな当時のパーツを眺めていると、なんともオツな雰囲気。年月を重ねた製品というのは良い味を醸し出しますよね。

 

いや〜、やはりMTBはカッコイイ。

 

表題の"割とDewey的な"のことなのですが、これはレストア完成後にお話ししようと思います、ちょっと時間切れで。Dewey的に組み直そうと思ってます、Deweyのマスコットバイク。

また自転車だけの回がそのうちありますが、、ご了承くださいね笑。

 

それではまた次回。