ハシグチカンジの枝葉末節

某ブランドの京都アトリエショップに大体いるメガネです、以前は御所南Dewey&二条木屋町UNITでした。

ひとり飲みにほとんど行かなくなったこの数年について。

こんばんは。

衆院選が終わりましたね。

前回の受けで話し始めますと、投票したいので投票して参りました、ある意味のポリシーである一番弱そうなところに笑。

京都は、自民3・野党5・元首相補佐官の無所属の方が1なので、半々というまさに京都バランスを絵に描いたような結果でした。全国的には自民293・野党162・与無所属3・野無所属6・他無所属1ということだそうですね、関西はリベラルで東京はちょっと自民寄りで地方は自民、これまた絵に描いたような政治は地方からという形。安倍政権時の有力者が多数落選という側面もありましたが。

 

毎回美しいバランスを成し遂げる京都、その京都に住んで30年で九州ルーツの大阪出身、その辺のおっさんであるぼくが思う政治の形ってどうなんだろ?と無責任に考えますと、、

「国政は半分の人員に減らして自治体の強化、税金の配分も自治体メイン(国税は消費税だけとか良さそう)、政党も地方に増やして国会は保守とリベラルの2派に分ける」

そうすると市議会・県議会が身近になり、政策の色付けによって人口も均一化(変動) するでしょうし、国がコケる=国民大変、なんてことも今より減りそう。

だって、、、単純に世界レベルで100年前に比べると人口が激増してるわけで、日本だけでも100年前の3倍の人間がいるのですから(少子化はおいといて)、1政府で3倍の仕事をしてるということになりますよね。

そして昔よりも平均的に情報量も上がってるわけですし生活のベースも上がっている、それを束ねることをそれぞれに分担するというのも悪くないと思うのですがね。

近代化して200年程、世界の国々を見てもせいぜい建国数百年なわけです。日本にいるのでずっと国は変わらないなんて思っちゃいますが、曽祖父の代で今の国になったなんて人が世界には沢山いるわけです。あと100年もすればGAFAが作った国なんてのも無いとも言えない。あ、Facebookって社名変わったんですよね、Fじゃなくてなんだろ?。

 

無責任な上京区のおっさんの言でした笑。

 

 

しかしこんなことを言ってると、以前選挙翌日に飲み屋で言わせたおじさんに怒られたのを思い出します。「選挙行ったか若いの?」という感じで訊かれましたので、はいと答えると、「言っていいんやったらどこに入れた?」と。〇〇党と答えると、「なんでそんなわけわからん所に??」と語気を強められまして笑。「いや〜、いわゆる政治信条みたいなものが無いので与党と真逆に入れたくて」と返事、そこから「あの党はあんなことこんなこと変な考えをしている、お前わかってんのか??」となり、「まあ、、でもそれが公約として成り立つわけもないし、まずは当選しないでしょ」「は?お前適当なことばかり言って、考えて物言えや。」「いや、感情でモノ言ってるのおっちゃんでしょ?まあ政治なんて感情ですしねえ。」、そして、あ…いらんこと言ってしまった…と後悔したのですが先に立たず。そこから実に感情的に色々言われたけど忘れました笑。

そうなんですよね、人間なんて感情の生き物です、良くも悪くも。想像してみると、、、人を論じない(断じない)世界だとアルカイックスマイルでごきげんようという人しかいない、そこに微笑みはあっても大笑いは生まれません。それって人間らしくないと表現出来そうですよね。いわゆるお笑いのベースだって、変なことをする・失敗する・異質なことをする、それを見て笑う。そういうある意味いじめスレスレのロジックで成り立ってるわけですよね。笑う=楽しみの根底にはそういうものが存在するわけです、感情の種類の重要な1つ。しかしそれがあったから他の動物よりも発展できたわけですし。街頭でも放送でも実に感情的な話っぷりで感情に訴えかけます。そして感情で利権を分配しなければなりません(嫌味とかではなく大真面目に)。

 

飲みに行ってないの?という問いかけの返事にも、コロナで飲みに行けてない〜なんてよく言ってますが、正直に言えばコロナ禍スタートの半年以上前から格段に夜は外に出なくなってました。なんで飲みに出てるんやろ、、と考えると大体4分割、付き合い・独りで退屈・酒が美味しい、そして多分これが最も大きな理由である"クセ"。もちろん一緒に住む家族が出来たのが大きな理由であると言えばそうなのですが、クセで飲み屋の扉を開けるというのは能動的ではない。そして、ぼくを信用してくれる飲み屋のマスターはたまに行こうがちょいちょい行こうが変わらず喜んでくれる、またそういう所にだけ行くようになりました(今のところひとり飲みは長くしてないけれど)。

月並みな理由ですが、それに気づいた時になんだか飽きを覚えました。独居では無くなったしお酒の飲むのも家で平気になった、そうなると後は付き合いとクセ、コロナのおかげで付き合いというのに線が引かれたおかげでクセに気付いた。

ありきたりな事ですが、そうすると人の噂話から解放されました。これがぼくにとってはとても楽、こんな仕事しながら情報交換を軽視するのは良くないのかもしれませんが、噂というのは過分に感情が盛り込まれますので、、重い。同調してもしんどいし、反対しても大変だし、流しても止まらない笑。

同業者同士の話でも、大体へ〜ふ〜んと言ってるだけです笑。そしてこれが出来ないのは社会に属してる大人としてかなりダメなことだとわかりながら、この無責任さはやめられない笑笑。

そうなんですよね、人を論じると責任が返ってくる。でも人が人と生きている世界で人に物を売って生活しているわけですから、人について感情的にならないと根本原理が崩れます、とても無責任な状態だと思います。

だからといって人嫌いか?と問われるとおそらくそうではないと思います、じゃなかったら店なんてしない。むしろ服をお茶請けに人と話したいからお店をやってるという方が正しいのかもしれません。そうう意味では、酒が入らない分飲食店よりも話が暴れない、スポーツ屋さんよりも能力が関わらない、洋服屋って実はこの世で最も世間話をしやすい環境なのかもしれません。カフェだと話すことが目的になり重みが増しますし、洋服屋なら主題がそれて軽くなる。

 

まあ我田引水な発想ですね笑笑。

 

そしてDeweyもそんな感じでたまにでもしょっちゅうでも、皆さんに来てもらえたらなあと思います。

あ、そういえばうちの事。こういうことはあまり言わない方が良さそうなのですが、他店でやってるいわゆる囲い込み的なことは全くやってません、プレセールや限定会員だけのお得サービスのようなやつです。なんなら身内や同業の方に値引き的なことも一切してません。そもそも縁故では無くDeweyを見つけて正当に価値を見出してくれている方に申し訳ない・なので差をつけると自分の気持ちの処理が出来ない(無責任笑)・暴利を貪ってるわけではないうちのメーカーさんの商品に自信を持っている、そんな気分でしょうか。もちろんセールをすることもありますが、予定調和や他より先になんて考えが毛頭ないぼくですし(売上に無責任笑)、セールする理由がある時にそのタイミングでします。最近ならば、トリッカーズの掘り出し物が出たとかチノの旧品番が出てきたとか。なんなら掘り出し物とはいえオンシーズンのコートも先月からウェブショップにアップしてます。それをポーカーフェイスで、裏で歯を食いしばってやってます笑笑。

 

飲み屋に行ってない理由じゃ無くなって来ている、、、。

 

とまあ色々言ってますが、人に会う回数が戻れば自ずと外出も増えるでしょうし、飲みに行くこともまた多くなるのかも知れません。自分のバイオリズムもあるでしょうし、楽しくなれば毎日飲む日がまた来るのかも知れません。今はとりあえず朝の時間の使い方にムラがなくなり、夜も深くないので体が楽になりました。変わったのはそれくらい、他にこれ良かったなあなんてのは特に思いつきません。まあ今のところ、、ひとり飲みよりもバカ娘のバカ話に付き合う時間を確保することが優先順位上位(楽しいと認めたくない)なので、彼女が大人になればまたぼくの時間の使い方も変わるor戻るでしょうし、すでにぼくの飲みに付き合ってくれているということもあります笑。

人生日々移り変わるもんです、行雲流水、逆らわないように人生の時間を使えていれば良いなあと思います。

 

でも、、、静寂バーとかあったらいいのになあ、入店・注文・退店だけ発声OKで、客同士程よい距離感のカウンターで本読んだり自分の時間を思い思いに、とか笑。自宅では得られない1人空間って割と大切ですもんね。

 

ということで、、のみのお誘いはいつでもお待ちしております笑。

 

朝、TVを見ておりまして。

お久しぶりです。

全国的にも今日から?ご飯屋さんも通常営業に戻るわけですね、個人的には再来年くらいにマスクなしで過ごせるのかなあと思ってるのですが、この冬どう乗り切れるのでしょうねえ。。

そんなタイミングで総選挙、朝洗濯機を回しながらTVを点けると政見放送が。ちゃんと選挙にいきましょうというのが正しい大人の意見でしょう、ぼくも比較的それに寄り添って投票に行ってはいます。住民票が実家にあった若い頃は全く行ってませんでしたが、京都に移してからは大体行ってます。大体というのは、仕事の都合等で日曜の朝に行けない時がちらほらあったということになります、期日前投票に行くほど真面目ではないということですね笑。

そしてこういうのを公言するのもアレなのかもしれませんが、大体一番弱そうな人に入れます、感覚的には白票で出すのも何だし、どの党になろうが対局に引っ張って釣り合いを取りたい、その程度の浅はかな考えです。なので、義務とか投票しなければ何も始まらないとか、そういうことを真剣に思ったことがありません。

国民と政治は写し鏡的な物なのでアレですよねという、松下幸之助かマイルズか、どちらが先に言ったのかは知りませんが、ソレですよねと言いたくなる。東大や政経塾出身の政治家や官僚相手に、京都の服屋のおっさんが何言っとんねんですよね笑。そう思ってみると、、、

 

f:id:bridge_middle_works:20211022175402j:plain

f:id:bridge_middle_works:20211022175428j:plain

f:id:bridge_middle_works:20211022175439j:plain

壮大or心拍数を上げそうなBGMで、おっさん&オバはんが芝居がかったアピールを繰り広げたこれが、とても他人事に見えるんです。通販番組と同じようなフォーマットで構成された感じ、こんないい物買わなきゃ損!というような。それならばむしろテレショップの方が純度が高い笑。

「これがイケてると思って作ってる=国民のイケてるレベルがこれ」なのか、「国民のレベルがこれくらいだから合わせて作ったらええやん」でこうなのか、、、どうなんでしょね笑。

プラトンのいう"理想的な社会は理想的な成員が構成する"を真に受けると、やはり人間が数万人以上で動くには幾ばくかの犠牲者が出て当たり前ということになりますよね。

しかしこれだけ色んな情報が誰にでも見られる世の中になったのですから、どこか1つくらいの政党が「コレをOKしてくれたら、その人達にアレを享受させるので、ソレを我慢してね、無理だし。」とか言ったらいいのに。

 

そういう損得勘定とか選別とか、もちろんぼくらの業界でも同様ですし、皆さんの属している業界でもそうだと思います。そういう意味では、、、Deweyは1人のお店でそれぞれの皆さんの顔が見える(通販の方もいらっしゃいますので仮に)体制、プラトニックです。そしてこれすら自然or正しいことなのかも分からない笑。

 

いや〜世の中は虚構で成り立ってます(前回お話ししたサピエンス全史の影響受け過ぎ笑)。

 

 

 

f:id:bridge_middle_works:20211022175503j:plain

一昨日のお休みはこれを見てきました。全部見て最も感じたのは、アスファルトの無い世界っていいなあということ笑。やはりこの150年くらいの世界の成長曲線は異常ですよね、政治家の皆さんも大変でしょうね。

 

ということで、投票したい人は必ず投票にいきましょう笑笑。

 

 

追記。

政見放送エンドの直後、

 

f:id:bridge_middle_works:20211022175455j:plain

マンドリルのアップでした、こんなに嘘くさい配色の顔してるのにシンプルに生きてるな〜と思ったりして笑。

直近の読書事情。

こんばんは。

このところ無駄話を全くしておりませんでしたので、なんとなく最近読んでる本はこんなの〜というのをお知らせしようと思います。誰トクやねんと思いますが笑、まあ無駄話なんてそういうものです。

 

 

f:id:bridge_middle_works:20210927175824j:plain

最初はいつも通りの月刊「文學界」。

純文学ベースの月刊誌の最右翼ですね、一応毎月購読してます。毎月買うなら定期購読で送って貰えば良いと思うのですが、これを求めに本屋さんに行くというのが月初の儀式みたいになってて悪い気分ではないのでそうしております。独り身の頃は自宅に帰ると取り敢えず開いて晩御飯を食べ食べこれを読んだり、帰り道一人飲みしながら読んだり、なので隅々まで読んでおりましたが最近はつまみ食い、赤ちゃん食べ状態です笑。まあ雑誌なんてそんなもんでしょうし、暇な時に読み残しを思い返し"そういえば?"なんてこともあるでしょうし、そんな感じで毎日カバンに入れっぱなしです。まあ、お守りみたいなもんです。

因みに今月のプルースト特集、「失われた時を求めて」は読書好きは読むよね?という存在のギネス認定最長長編小説、毎年手をつけようとして指を引っ込めてるぼくには目に痛い笑、参加している読書会でも時折これどうするよ〜と話題に。とはいえこれをきっかけに読めるかも、、、まあそのうち読むと思います。

 

 

 

f:id:bridge_middle_works:20210927175836j:plain

次、ハラリの「サピエンス全史」。

これはようやくです、読まなければと思いつつ5年、巻末見ると89刷りを買ってました笑、恐ろしく売れてます。

シンプルにとても面白いです、そのうち読んでも良いかもと思ってた方はすぐにでもどうぞ。ぼくがようやく重い腰を上げた理由は、続編的に書かれた「ホモデウス」の内容を素直に感じ取るのにタイムラグがない方がよのでは?と思いまして、それで。

読んだことがない・知らなかったという方にラフにご説明すると、なんというか、、人間の具合について分析してみたよ、そんな感じでしょうか笑。

「人類が勝者になった利用は虚構(嘘)を信じる力があったから」どうでしょ、面白そうでしょ??。イスラエル人であるハラリが、"宗教という嘘を"とぶった斬ってるところに物凄い説得力を感じます。

ビッグバンで宇宙が誕生してから訳わかんない位経って人類の形跡が見られ始め、そこから300万年。動物のヒエラルキーの中位であるはずの人間(というかホモ・サピエンス、ここ重要)が、最近いかにして食物連鎖の頂点に立ったのか?という話です。そう、最近です笑。

俯瞰で自分の種を見られるという面白さでしょうか、人を他人事で眺めて見たらばという気分。本書の内容からは逸れますが、人間自体がヴィールス由来かも知れないという研究結果もあるそうです。我々もコロナもそう変わりないということですね。地球に感性があるとすれば環境問題なんて、さっきから皮膚がチクチクするなあ、、くらいの感じでしょうね笑。

 

ついでに、これは最近というわけではないのですが、

 

 

f:id:bridge_middle_works:20210927175855j:plain

養老先生のさかさま人間学

養老先生が子供向けに出版したイラスト本、うちのチビにと思って買ったのですが今後読んでくれるかは謎です笑。人間は人間だけで通用する概念に縛られているということ、時間も物事も勝手に人間が人間だけの物差しを作って考えるからヘンテコになる、自然の物差しだとそんなことは通用しない。生物多様性と唱えてらっしゃいますが、おそらくご本人もその呼称に納得がいってないと思います。確かにそのネーミングだとどうしても人間の枠の中でしか考えられないような気もします。サピエンス全史を読んでから養老先生のおっしゃる事に目を通すと、その人間的自己中心的な枠を抜け出して相互性を感じられるような、、、知らんけど笑。

そういう意味では失われた時を求めてなんてのは、人間の概念の塊を壮大にまとめ上げたようなものかも知れませんね。

 

 

 

f:id:bridge_middle_works:20210927175818j:plain

最後にこれ、先月発売の新刊で水谷千秋氏「女たちの壬申の乱」。

面白いです。氏の著書は以前もいくつか読んでまして、マックから新しい味のハンバーガーが出たので食べた、それくらいの感覚でもありますが笑。でも知りたいことと読みたい速度のバランスが心地よく、読んでて楽しい。既存の説についての氏の見解も自分の感覚に合うのか、納得しながら読み進められます。

女性からの切り口で歴史を紐解くというのは割合最近のブームな気がするのですが、これは無理さがなく自然に読み進められてます(まだ途中)。

歴史といえば戦国や幕末期が人気ですよね。最近は応仁の乱周辺や承久の乱周辺なんかの地味だとされていたところも注目され始めてますが、奈良時代の歴史って、いつまで経ってもあっさり通過されますよね笑。ニッチを気取るわけではないのですが古代史に分類されるところが好きで、なんだか生っぽいんですよね。その後今に至るまでの日本文化の根幹を形成した平安時代の骨組みは奈良時代に出来てますし、政治と人間の欲望や愛情が直情的にミックスアップされてます。貴族と武家なんて差のない頃で天皇自ら刀を取って戰に出てます、女性も割合言いたいことはっきり言ってるし。前述に近い感覚で言えば、都とされるところが後の我々から見てまだ都市といえない完成度、生っぽいのかも知れません。平安京以降の京都や江戸の町のような建造物だけの世界でなく、アオニヨシな感じで草が広がり山を望み、青空に雲が走り、そんな中に奈良の都が調和している。海に行けば屈強な男が並んで大きな櫂を手繰り寄せている。なんとなく、自然界に於ける人間のはみ出し具合が丁度良い気がします。

飛鳥・奈良時代を例えて言うなれば、ロックが細分化される前のビートルズ時代笑。

まあ歴史なんて勝者の書き換え、どうせなら古代の方がちょっと遠くて想像して面白いというものです。そんな時間軸だって地球からすれば豪秒の違いでしょうが笑。

 

ということで、言い回し方で4冊の共通点的な物を無理矢理ねじ込んで話しつつ笑、締まりのない感じのままで終わりますが、最近ぼくが頭に与えた栄養はこんな感じです。

 

皆さんが読んで面白かった本もまた教えてくださいませ、お店でコーヒー用意してお待ちしてます笑。

 

それではま次回。

 

 

懐かしい夏を思うと。

こんばんは。

9月もそこまできております、そろそろ残暑の気配。

我が家には中3の思春期女子がおりまして、例に漏れず冬には受験が控えておりますので夏期講習に勤しみながら、それなりに友人との青春時間も設けている様子。

それを見てるとなんだか羨ましい、中2くらいから人生やり直してみたい、今の価値観を携えてブースト込みでやり直したい笑。なので自分の失敗を踏まえ鬱陶しくならないくらいの強度で、まあちょっと頭に残れば良いかなあくらいの希望で「悔い残らんようにね〜」と助言をしているのですが、まあ心配といえば心配笑。でも心が健全に育ってくれることの方が大切だと言い聞かせ、なるべく干渉しないように心がけております。

イレギュラータイプの父親だからなのか、思春期にも関わらず他のご家庭のお父さんだと涙を流して羨ましがるくらい懐いてくれてます、しかしぼくの歪んだ性格のせいでまあまあドライな対応をしてしまいます。ところがそれを乗り越えて甘えてくるというタフな娘っぷり笑。そうされると如何にドライなおっさんとはいえやはりかわいいのでついつい甘やかしそうになるのですが、正すべきことは自分の行いを棚に上げてでも努力しなければなりません笑。その分、別のターンで1割増しくらいでヨシヨシしてバランスを取ろうと実験してみております。

とはいえやはり大人の意見で押し切りそうになります、過干渉かなあと思うこともたまにはあったりなかったりを自問自答。三国干渉で戦争が起こるのですから、干渉しすぎは良いことが起こりません笑。

 

そんな夏休み期間、横で見てると自分の中高時代を思い返してしまいます。団塊ジュニア世代ですので受験戦争真っ只中でしたし、部活もあったし塾や予備校・割と厳しめな家庭環境とで、なんだかんだで友人と遊びに行った思い出が全くない笑。そんなぼくが夏休みの思い出として頭に浮かぶアイテムが2つあります。

 

 

 

f:id:bridge_middle_works:20210823173612j:plain

まずはこれ、昔あったFM STATIONというFMの番組表&音楽情報の雑誌。部活から帰ってきて風呂に入り、クーラーの効いた部屋でこの鈴木英人氏の表紙を眺めつつラジオから流れてくる音楽を聴きながら、海でお酒を飲んで彼女や友人と大人の時間を過ごすという脳内変換を試みてました。ホール&オーツとかボビーコードウェルとか、大人っていいなあ〜と笑。そういえば、、高2くらいで初めて買ったイバン・リンスで初めてブラジル音楽を意識したのも良い思い出、ラジオのおかげ。お小遣いも少ないし今の子供達のように無料で音楽を聴けなかったので、伸びないと言われるメタルテープを頑張って買って、エアチェック(死語?)したのを何度も編集して聴いたなあ。。。純粋な頃のぼく、、、笑。

 

 

f:id:bridge_middle_works:20210823173631j:plain

次はこれをなぜか思い出します、高橋三千綱氏の九月の空。1960年代が舞台の青春物でで、1990年前後が思春期だったぼくにはズレがありますが、携帯もパソコンもなかった時代なのでそれほど齟齬を感じなかったような気がします。多分中百舌鳥駅の天牛書店(もうないのかな?)の中古コーナーで買ったような記憶が、夏休みに買ったということなのかなあ。

同じ剣道部の男の子が主人公ということでグッとのめり込みました。その彼が日本一になりたいとかではなく都内でまあまあそこそこ頑張ってるくらいのポジションというのがリアルで、地方大会の学生でもそれなりに必死で頑張っていて、それと学業やバイト・女子との駆け引き、普通の青年がしっかり輝いている。どんな人にもそれぞれの宇宙があって、毎日悩んで喜んで生きている具合が等身大で感じられたような記憶があります。ぼくはバイトと女子とは縁がなかったので、それも脳内変換して体験しておりました笑。

部活帰りに南海高野線河内長野駅にある小さなCDショップ&本屋さんで、試聴したり立ち読みしたりも思い出すなあ。合宿の稽古の小休憩の輪切りのレモンとか、部活仲間と交流戦の負けが悔しくてトイレで泣いたとか、そんなこともあったなあ、、、。予備校サボってアメ村行ったこととか笑。

そんな具合で部活か塾か家という思春期でしたが笑、まあそれはそれで良い思い出だなあと。

秋の足音がそろそろ聞こえそうですよね、見るだけで良いし海行きたいなあ、車や電車の車窓からでもいいし。Deweyと一体化しそうでヤバいぼくですし、皆さんもこの状況でそんなに夏満喫なんてことも出来ていないでしょうし、青春時代の思い出交換にでもお越しください笑。

 

この話をしようと思ってここ数日おさらいがてら九月の空をらちら頁をめくっていたのですが、今朝のニュースで高橋三千綱氏の訃報を目にしました。虫の知らせというのか、、、1人でニュース見ながらううぇっ!と、言葉にならない声が漏れました。ご冥福をお祈りいたします。

 

 

重箱の隅をこそげ落とすような話ではありますが。

こんばんは、お久しぶりでございます。

オリンピックも2週間くらいになるのでしょうか。どちらかといえば興味を覚えないタイプですのでふと目にする時に情報を得る程度、朝ドラの後にそのまま始まるの番組でそれを認識してます。朝ドラを見るのもぼくにしては珍しいことなのですが、前回のおちょやんを初めて頑張って見た流れで今のも継続、気象を軸に話が進んでて面白いです。

でね、タイトルの"重箱の隅をつっつくような話"なのですが。

テーマ曲というのでしょうかね、解散した?嵐さんの歌なのですが、すごく耳にチクッとくるのです。これを今朝見ながら奥様に話すと「あ〜、いつものうるさいおっさんのやつね。」という反応が返ってきたのですが笑。

何が気になるのかというと"が”が気になるのです。調べました、"カイト"という歌の

 

"風が吹けば 歌が流れる 口ずさもう 彼方へ向けて

君の夢よ 叶えと願う 溢れ出す ラル ラ リラ"

 

というサビの部分。この中で一番盛り上がっている様子の"叶えと願う"の願うの「が」にアクセントをつけて歌ってらっしゃるんですよね、最も力を込める部分が「が」というのがどうも耳触りがよろしくない、どうせなら叶えの「な」にもっとアクセントを設定して欲しいのです、濁音に力を込めるのはなんだか気持ちが悪い。叶えよりも願うに力が込められているというのは、叶ってほしいことよりも願っていることが重要視されていることになるので、思いの純度が低くも感じる。

こうやって見てると他のことも気になってくるんです、風が吹いて歌が聞こえるのではなく流れるだと流されて耳に入ってないように感じるし、彼方=〇〇の向こうという意味だし何の彼方なのかワケわかんない、、、とか、色々まあうるさいおっさん笑笑。"溢れ出すラルラリラ"はすごく好みです、溢れ出す物は表現しきれない感情的なものなのでラルラリラはピッタリなんじゃないかなあと。

 

でもね、曲じゃなくて歌なので歌詞を伝えることが大切だと思うんですよ。富野由悠季氏がガンダムを作る際に大人が本気で細部の設定まで考えないと子供に嘘がバレる、すぐに分からなくても後に分かればそれでいい、そんなことをおっしゃってたようです。その本気の結果はしっかり出てますよね(特にガンダムファンというわけではありませんが)。

皆んなで皆んなの夢を応援しよ〜!なんて漠然とした詞は肌感覚でグッとこない、こんな女に誰がした、、、なんてさめざめと泣かれると感情移入もすんなりなのだと思います。古い歌ばかりを良いというのはよろしくない傾向笑、そうですね、、若い子の聞いてる中だとちゃんみなさんの歌は主体が明確だな〜なんて思ったことがあります、全く共感は出来ませんが大切だと思います。

 

話逸れ気味です、「が」のアクセントの話。この重箱の隅っこを丁寧にするのが男性の身だしなみに重要だと思います、そうですね、Deweyの最も気にしているポイント。

その時の雰囲気で"おっしゃれ〜"とか"今これかっこいい〜"を男性はしちゃダメです。初対面で出オチするようなお洒落の方法ではなく、何度目かに"あれ、この人洒落てるんじゃない?"なんて思ってもらう方がかっこよくないですか?笑。

ニュートラルだからこそその気遣いがチラ見えする、そんな奥床しさが日本の大人の男性には素敵なんじゃないのかなあと思います、かつ品の良い油断もあると可愛いおじさんだったりもするんじゃないのかなあとも思います。

 

まあ、、、「が」を気にするのがDeweyのおすすめしている着こなしなんだろなあと思い、その面倒臭さを心の中で反省した朝でした。

 

ということをお伝えしたかった本日のブログ笑。

それではまた次回。

たまにはコーディネイトっぽい話を。

と言っても、"今季はこれで来季を見据えて〜"とか"このコートと靴はこれから必須ですよ"とかそう言うナウイ話ではございません、まあお分かりだとは思いますが。

 

本日インスタグラムでポロシャツでグリーンのモノトーンの投稿をしました。昨日ヨーロッパ企画の石田くんがフラッと来てくれた時にグリーンのポロを気にしてくれまして、でも今日ダークグリーンのショートパンツをはいて来たから何だかなあ〜なんて感じでしたが、いやいやそれが良いのよ!何だったらそれするつもりでぼくはグリーンを買ったんだから!!、と言いつつ一回着てよとパチリ。一度水を通したかったので昨日洗濯中だったぼくは、今日グリーンマンの予定だったので悔しかったです笑。

 

でもこれね、お店でもよくその会話パターンになるのです、

「ネイビーの上にネイビーはおかしいでしょ?」

「いや、今日のぼく、ほら。」

「あ、、、、。」

というやつ笑。

とはいえまあ、黒・紺・茶のモノトーンはそれなりにやりやすい。ちょっと話が逸れますが、ぼくは基本的に3色以上は使わないという基本ルールで毎日服を着てます。これしとくと迷いが減って失敗も9割方無くなります、逆に面白くないという一面もありますが、当店ファッショナブルなファッショニスタを生み出すことを目的として居りません、身だしなみ屋さんですので笑。サイズチョイスと全体のバランスを肝要としているお店です。

そういうぼくが多少なりともアパレルの人っぽいことを考えてるポイントをいえばモノトーンのことかも知れません、とはいえこれも"どや?モノトーンカッコええやろ!"なんて感じでもなく、スンとした感じを狙ってます(狙ってるって、、、笑)。

 

自分の考えるルールですので他のプロの方の適用外の話かも知れませんが、ちょっとした参考になるかもね、というくらいの軽い気持ちでお読みください。

と言うことで、さっき言いましたようにダーク系カラーのベーシックモノトーンはまたお話しする(かも知れない)として、行きがかり上のグリーンから始めてちょっと延長線上の白まで。

 

 

f:id:bridge_middle_works:20210703173613j:plain

インスタでご紹介した石田氏の写真、いいでしょ?濃いけど鮮やかなグリーン、爽やかさと落ち着きのある感じになると思うんです、洒落感もある。

 

 

f:id:bridge_middle_works:20210703174856j:plain

そしてボク。石田くんのような爽やか系のダークグリーンではなくくすんだオリーブ、このグリーンはカーゴパンツを合わせる前提で入荷しました。ネイビー系ボトムに合わせるのは言わずもがななので。

ここで重要なってくるのが靴、真っ黒の靴で引き締め効果を導入してます。しかし、黒なら当たり前に持ってるしスニーカー履こ〜と思った方は要注意。

 

 

f:id:bridge_middle_works:20210703174912j:plain

合格点だと思うのですがちょっと引っ掛かりあり。と言うのがソールの色、この白が少々子供っぽくさせてしまいますし、色を散らさない方が落ち着くしグリーンも綺麗に見える。もちろんこれがダメではないので悪しからず、よりよくするにはと言う話です。

そして混乱させることを言うようですが、、石田くんくらいの鮮やかな濃いグリーンならアリです、発色の良さが白に負けませんので。

 

 

 

f:id:bridge_middle_works:20210703180423j:plain
次に白のスニーカーを履く場合、じゃあスニーカーのアッパー&ソールは白×白が当たり前だし大丈夫よね?

 概ね問題ないとは思うのですが、これをより良くするには

 

 

 

 

f:id:bridge_middle_works:20210703174930j:plain

ジャーマントレーナーを代表とする飴色のソールがモアベター。白がぼんやりするのを引き締めてくれます、黒とは逆の発想です。

 

白&黒のスニーカーの話の流れで、、では分かりやすいモノトーンの代表である白のモノトーンの場合はどうなるか?

基本的にアッパー&ソールの組み合わせはオールオッケーだと思います。

しかしその処理方法で結構印象が変わります。

 

 

 

f:id:bridge_middle_works:20210703173635j:plain この感じ好きなんです、全身白に黒スニーカー。でね、この場合のワンポイントが裾の処理、黒アッパー×白ソールの場合は裾を遊ばずにしっかりフルレングスにしましょう。これをロールアップすると、、、

 

 

 

f:id:bridge_middle_works:20210703174739j:plain

ちょっと散らかるように思いません?、足首周りにボリュームゾーンを持って行き過ぎになるのだと思います、肌色も要らない。ここはメリハリをつけずにストンとそのまんまでいくのがスッキリ見えます。

 

 

f:id:bridge_middle_works:20210703174755j:plain

逆に真っ白のスニーカーはロールアップでニュアンスを作りましょう、のっぺり防止です。

 

 

 

 

f:id:bridge_middle_works:20210703174835j:plain
そして白いパンツをロールアップで白いスニーカーだと、トップスの色が映えます。ボーダーでも色物でも、いわゆる分かりやすい洒落感を作ることが出来るでしょう。

 

 

 

f:id:bridge_middle_works:20210703174816j:plain

そして白のモノトーン、バッグ持つだけで更に良い感じに。黒・茶・キナリ以外を選ぶのが素敵だと思います。

 

こんな感じですが、、、有用な情報でしょうか。

これはあくまでもDewey流の考え方で、ぼくが1人で思ってやってることですので反論は受け付けておりません笑笑。

そしてモノトーン以外になるとこの法則は適用外です。因みに今日のカーゴパンツにネイビーのトップスを持って来た場合とかなら今日の全ての靴が履けます、個人的には白アッパー&白ソールを履きたくなります。

 

他の話もまたしましょうか、需要ありならば、、、。

 

それではまた次回。

持続可能というか、持続したい。

こんばんは。

この2週間程でDeweyに新しいブランドが2つ仲間入りしました、ぼくがやっているお店としたら珍しいスピード。まあ実際のところアサヒさんに関しては2年以上前からのお話を低温やけどするくらい温めていたという逆に遅い仕事笑。本日表のブログでご紹介(のご紹介程度ですが)した月城ニットさんも営業さんが何度も足を運んでくれて(むしろ彼だから始めたという部分も大きい)、その後新進気鋭の社長さんも来てくれて色んな話をして。ありきたりな話かもしれませんが、誰がやってるか(というよりも喋って気分が良いか)というところが新しいお付き合いを決めるほとんどの要素なのかもしれません。

あ、もちろん物がきっちりしているからですよ笑、このきっちりという感覚がぼくには大事なのかも知れません。高級で良いものというのは当たり前だし、商品を作る上で努力をしていない人なんで殆どいない、いたとしてもその周りの誰かの努力のおかげ。ぼくの場合、ぼくがざっくり&雰囲気を絵に描いたような質なので、商品のアウトラインがきっちりしていてくれないとバランスが取れない、だからDeweyの商材に対しての表現は"きっちり"を選びます笑。

 

今回入荷しましたアサヒシューズ、これは個人的にもかなり感慨深いものがあります。

アサヒを履いたことがない日本人っているのでしょうかね、保育園や幼稚園から小中学校、ついでに高校まで入れて、上履きや体育館シューズとして必ずどこかでお世話になっていると思います。そういう靴を作るにはもうスポーツとかファッションとかでは想像できないくらいの多角的なクオリティを求められて来たのだと思います。すごい歴史だと思います。

そして個人的という理由はこれ、

 

 

f:id:bridge_middle_works:20210701182055j:plain

UNIT時代のU.S.Keds〜PRO Keds、実はアサヒシューズの工場に依頼して作っていたものなのです。ぼくも企画に無責任な口出しをしてましたので笑、それなりに思い入れも強い。当時持っていたコンバースは全部友人に譲ったくらいケッズに取り組んでました、もちろん手放したことには後悔しています笑。そして国内でのライセンスが大手ショップさんに移行し現在のPRO Kedsは海外生産に、それと共にUNITでの取扱いも終了。ぼくの手元には10足程残っています、特に写真の2型は大切なので新品をキープしてますが貧乏性なので中々おろせずにボロボロのを履き続けています。SNSでぼくがよく履いている白のハイカットはこのバイクケッズというモデル。

その後アサヒさんの関西営業部からお取り引きのご提案をいただき、諸事情で温めすぎてUNITでは間に合わず、もうDeweyで仕切り直し!ということで今に至り、、コ◯ナの影響でその段取りも予定よりも時間がかかったりもしました。

そんな感じでようやく届いたアサヒのスニーカーを見るとね、何だかジーンとするんです。

 

 

 

f:id:bridge_middle_works:20210701182107j:plain

インソールの印字や飴ゴムのアウトソール、同じお腹から産まれたのがわかるでしょ、もう泣けてきます笑。

 

 

そして月城ニットさん、爽やかなお兄さんが入ってきたな〜と思ったら営業さんでした。いわゆる"飛び込み"という営業で来た彼の具合が何だか心地よく、その後何度も足を運んでくれて秋からやろうか〜なんて言ってたのですが、どうも我慢できなくてスタート。

大阪〜和歌山にかけては編み物が盛んな地域で、泉州はタオルで有名ですし和歌山もスウェットやニットを編む工場が沢山あります。そんな中間地点の岬町は南海沿線で幼少期を過ごした堺出身のぼくにとって、これまたケッズ同様に懐かしい響き。もう無くなったのですがみさき公園という遊園地があって、みさき公園行きという電車が今でも難波駅から出てます。

そして始める前に会うと言って来てくれた社長さん、先代から受け継いだ工場で新しいことをとメンズを始めた若さが羨ましく、営業のMくんと20代の2人が並んでるのを見ると「やっぱ若いって正義よな〜」と更に羨ましく笑。

因みにブランドスタート後数ヶ月なのですが、大阪がザボウさん・神戸がロータスカリフォルニアさんと錚々たる先輩方のお店、、京都はDewey・・・??ん??、逆にプレッシャーやわ!となったのですが、そういう意味ではぼくもそういう立場なのかも知れない(あくまでもかも知れない笑)というのを感じさせられ襟を正す思いでした。

 

 

そんなこんなでお店に並んでいる商品を見渡すと、9割方日本製。Pt.Alfred・ARAN・BETTER・MARINEDAY・FREDRIK PACKERS・mature.ha・MANON・ORDINARY FITSと、顔や話し方や果ては家族まで見える人たちが作り、それぞれ顔の見える人に縫ってもらってる商品を扱ってるんだなあと思います、インポートにしてもそれに近いことが言えるでしょう。

ぼくらの業界では"サスティナブル"という言葉が声高に叫ばれてますが、何と言いますか・・・Deweyの規模でそれをまことしやかに唱えるにはどうも腰が引けてしまいます。しかし大手ブランドさんやショップがそれを掲げるのは責務だと思います、内容如何の個人差はどうであれそうやって世の中は動き続けるわけですし、シンプルに会社の損益に直結する(これは言っとかないと不味いとかそういうことではなく、実際取り組まないと維持存続に影響を及ぼすはず)と思います。転じて"専門店"と言われる部類に属し、更にDeweyのように一人親方で好き勝手にやっているお店の場合、誰が買うとか・どういう人が見てくれているとか、そういうのがシンプルに直結しているわけです。生々しい言い方をすればこの1000円が屋台骨に影響する、そんな感覚。

そんな感覚ですから、やはり日本製(メイン)というのが素直でしょうし、それがぼくらのサスティナブルなんだろなあと思います。

 

お前が言うなら買うわ〜(お客さん)

お前が言うなら買うわ〜(ぼくら)

お前縫ってや〜(メーカー)

縫ってるで〜(工場)

 

持続可能な洋服業界の末端でやっていくDeweyでした笑。

 

それではまた次回。