ハシグチカンジの枝葉末節

某ブランドの京都アトリエショップに大体いるメガネです、以前は御所南Dewey&二条木屋町UNITでした。

意と識。

こんばんは。

近頃探し物をしていて見つかりにくいことが多い。

直近の話だと、、そうですね、インスタでトロピカルウールのJKTに白のコットンパンツと革靴をという写真を挙げようと思ったら定番チノスラックスのキナリがいくら探しても見つからない、諦めて同じ素材の5ポケットで撮りました。このパンツ、実は半年以上探していたのですが笑、最近相方が「これ仕事で要らないんですか?家着のカゴから出てきましたよ?」と、もちろん探していない場所。

はたまた、使わずにしまっていたボトルケージを夏になって折り畳み自転車に付けようと(これも最近個人アカウントのインスタにアップしてますが)探すのですが出てこない、自宅の自室か屋根裏の自転車パーツを入れている缶、若しくはすぐに使う自転車パーツの箱の中だと思い、3度4度と往復するが全く見当たらない。ぼーっとしている時に天啓のように"ひょっとしてDeweyに持っていったっけ??"と思い付き、翌日店奥の箱に手を突っ込むと即座に指に当たる笑。

1年前の引っ越しによる処分したorしないを記憶できてないんですよね、もちろん加齢の所為でもあるでしょう。残ってるならまだしも、あ〜処分してしまったか〜なんて物もそれなりにある。

奇しくも先日実家の父がそんな話を、自分はいわゆる"断捨離"というのをしないぞというのです。しかしこれは少々特殊なケースだと思うのですが、、、勤めていた大学の100年史の編纂で卒業生に関するデータが少なすぎる、残ってるのは出入りや成績くらいで、もっと彩のあるところが必要で少しあるものでなんとかしなければならなかった。だから一見無駄に見える物も必ず必要な時があり、それを裁定するのは自分ではないと。

まあそれがいわゆる断捨離と同じラインなのかどうかと言いたくなるところもあるのですが笑、ある人から見ればゴミの山でも角度を変えると宝の山なんてことも往々にしてあるわけですよね。

ゴミの山なんて比喩を使った後に言うのもアレなのですが、、、我がPt.Alfredの恵比寿のお店はまさに宝探し感のある店で、山のようにあるチノパンはもちろん、前に欲しかったヤツがある!という洋服も掘り出せたり。それだけではなく創刊当時からあるファッション誌やその他のアーカイブなんかもゴロゴロ出てくる。

 

そんなPt.Alfredの関西支部であるDewey(a.k.a UNIT)ですが、ミニマリストに合う商品の店と言われることもあります、恵比寿のお師匠と真逆の評価です笑。やってるボクはと言いますと、収集しているものがある訳でもなくテキパキ処分するタイプでもない。まあ、、、普通です、ただ洋服屋として考えると保有している洋服の量は多くないと思います、ぼくの癖といえば同じものを多色買いするくらいでしょうか。ブーツ3色とか、ちょっと違いますが気に入ったスニーカーを潰れた時のために2足程ストックも同時購入とか。ある意味お店のラインナップにその性質が現れているようにも思います、多色買いを勧めるお店笑。そんな空気感がミニマリストやノームコア(最早死語でしょうか)に合うと言われるのかもしれませんが、それを能動的に考えたことはありません、断捨離も然り。

Quoraなんかを眺めているとミニマリストに対して言及している質疑が散見されます。イメージ的には自分が必要だと思ったものだけを持つ、それが100円でも100万円でも同列の扱い。めちゃめちゃ乱暴にいえばそんな感じなのかと(細かいところはちょっとおいといて)。それもすごく分かる表現なのですが、"これだけあれば"という思いに至ったことはありません。"これだけあれば"を目指している過程で雪だるま式に物が増える経験はよくしますし、減らした増えた、また減らしてまた増えたの繰り返し笑。それと共に、何十年か変わらず好きな物事に対しての"これだけあれば"という結果論的立場、これはいくつか見つけられているかも知れません。

 

そういうのを考えていると養老孟司氏のおっしゃっている意識と自然の関係性を思い出します、自然とは人間の意識が介入されていない物という(と代弁する形になって良いのかわかりませんが)在り方であると。都会と森の参勤交代を提唱してらっしゃいますが、自然なので林じゃだめで森なんですよね。都会にあるものは全て人間の意識によってそこに配置されている、なので木があろうと自然とは言えない訳ですね。その予定調和を損なう物が現れると人間は嫌悪感や恐怖を覚える、虫や台風は想定外の存在。しかしそれは自然に在る&生じる物であり人間もその循環の中にある存在、なので人間が勝手に意識して対自然なんて思っていることが脆い事柄である。そうなると、ミニマリズムって不自然の権化のような考え方ですよね、主義とは人間の意識の塊ですからゴリゴリです笑。

現在流行中の疫病(以前の記事でコロナという単語は今後使わないと言ってしまった物だからこんなややこしいおっさん口調笑)のこともそうですね、意識下に無い想定外の事にも関わらず、現代人らしくコントロールしようとする、世界中ばったばた。人間の細胞もヴィールス由来が見受けられるそうですね、人間の存在や発展も想定外。というか地球は意識もしないし発展しようとも思っていない。

この意識と"意"と"識"というやつに人間は大昔から悩まされてるようですね、仏教哲学に於いても"八識"という考え方がありまして、結果なんにも無いところに行き着き、でもなんにもない所から全てはスタートしているよね、と堂々巡ります。ある意味意識というのは人間の前頭葉が肥大化した産物で特性なのかも知れませんね。

 

そこでDeweyを思い返すと、ラインナップはミニマルに見えるのかも知れませんがボク自身追い求めた訳ではなく結果的に残ったスタイル、ボクの経験から選択して残したという意味合いでは意識的なのですがそれ以外を排除するという感覚はありません。なんというか、、ボクの中で存在感が変わっていない物をお勧めしているということでしょうか。なんとなくダブルスタンダードな気がしますが、ボク自身正解正義はわかりませんし、結構ダブルスタンダードで日々暮らしてます笑。まあ正解や正義も人間の意識下にある物ですね。

 

こういうと厭世の徒を気取るようですし、スローライフを謳うような表現になるのですが、日々石臼を引くように仕事が出来ればなあと思います。

石臼を引いて粉を作るのは重いし効率が悪い、なので機械でバンバン作った方が沢山作れるし時間も出来る。その余った時間で他の作業が出来る、発展する。大正解ですよね、現代人ですから。しかしながら大きく機械を作るコストは大きい、動かし続けるには電気や油を使い続けるしメンテナンスも必要、そのランニングコストを獲得するのに仕事を増やして結局余った時間を取られる。そんな循環になるとも思えますし、その循環の中で皆生きてます。

でも石臼が良いんですよね、石臼で作った粉をオール電化で調理しても良いわけですし、沢山作れと言われたら汗かいていつもより早く回しますから笑。

自転車を仕事にしている友人がよく言っています、草鞋を編むようにホイールを組むと。手作業でフレームを組んでるビルダーさんも手作業だから出来ることがあるとも言います。それをなるほどかっこいいと思いますし、ブイーンってドリルでホール組んでる工場を見てもすごいと思うし、オイルをかけながら切削してる機械を見てワクワクします。

多分ぼくはその中間の感覚にいると思います、なんせダブルスタンダードの意識の持ち主なので笑。

 

だけど、石臼を回すように日々暮らしてゆきたいなあと思ってしまいます。

物が見つからない話だったのにな〜笑、でも見つからないというのはとてもロマンチックなことなのかも知れませんね。

 

皆さんにあう洋服を見つけにDeweyに来てください、見つかるまで来続けてください、でも物事に着地点はないのでず〜っと来てくださいね笑笑。

 

いつ以来でしょうか。

こんばんは。

外出しづらいとなると、どうしても見てしまうのがアマゾンプライム

最近見つけたのが中国版大河ドラマみたいな感じの三国志、男性ならば1度は通過する物語。ボクの原体験で言えばNHK人形劇三国志でしょうか、小学校3年生くらいから毎週土曜日に晩御飯前に観るのが楽しみでした。その後横山光輝の漫画に移行、古い喫茶店なんかに行くとそのコミックがあるのを見かけたりしますが、なぜかペーパーバックを買って読んでました、さっきネットで探したのですが見当たらず、ひょっとしてコミックよりも珍しいのかも、価値上がってたら実家に帰って探さないと笑。

これは両親への苦情に聞こえるかもしれませんが笑、我が家は基本的に漫画・アニメ・ゲームは無しでした。ボクが小学生だった6年間にファミコンやらガンダム北斗の拳ドラゴンボール等が始まったので、これがまあ皆と話が合わない笑。なので知ったかぶりをしてやり過ごしてました、CMとかちょっとした情報で雰囲気は掴めましたので、その場でうなずく程度には誤魔化せました。

そんな感じの少年時代でしたが、歴史漫画とかそういうのは手にすることが出来ましたので、三国志もギリギリOK。それ以外は家にある本を読んでました、最初に熱中したのは西遊記、三銃士とか水滸伝にもハマったなあ。少年にとって活劇の魅力はたまらないものがあるんでしょうね、その世界観に没入し夢中で読んだあの純粋さが今欲しい笑。そうやって考えるとドラゴンボールもワンピースも現代の活劇ですよね、正義・友情・信頼。

横山三国志を読んだきっかけはおそらく人形劇終了のロスだったのですが、やはりこっちも五丈原諸葛亮が亡くなると、その後はダイジェストで終わる、他のモノもそのパターンが多い。ということで岩波少年文庫三国志演義を読む、その後岩波の井波律子訳を読む、その他の考察書も読む、となりました。

 

で、少々話が逸れますが、、ボク、アベプラニュースをちょいちょい見ます。客観的ポジションで見ていると中々面白い角度だったり、地上波のニュースよりもシンプルに面白い。実際のところは、メディアに出ているここ最近の40代の中で最も気になる若新雄純氏を目当てに見ることが多いのですが笑。

今日も洗濯物を干しながらアベプラを耳で見ていたのですが、ひろゆき氏が小学校にPCを寄付した話をやってまして、ゲームで日本の戦国時代や三国志水滸伝なんかを覚えるきっかけになったとおっしゃってました。

実際そういう人って多いのでしょうね、漫画日本史や三国志の現代版という感じもします。我々世代だと逆パターンで元々漫画の三国志が好きでゲームの三國無双をやってる人なんかも多そうですね。しかしながら古い頭のボクはと言いますと、、ちょっと馴染めない笑。

ゲームはからきしですがアニメは好きで大体何か見てます、アマゾンプライムもdアニを、数年前は録画して見てたのがホント楽になりました。因みに西尾維新が好きで、インスタで京都文化博物館西尾維新展に行ったとアップすると、アニオタのみなさんから意外がられました、その時は神原駿河を載せたっけ笑。

そんな感じなのでアニメになった戦国BASARAも2シーズンとも一応見まして、アレはアレで別物として良いのですが、あのキラキラした真田幸村達はどうもしっくりこない。ネットで拾い見る三國無双の9頭身くらいの趙雲も同様な感想笑。では横山三国志の描写がしっくりくるのかと問われると、それがそうでもなく、、どれが自分にしっくりくるのかなあ。。。と思うとこれでした。

 

 

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原田維夫氏の版画、これなんです。

またハスに構えて〜一味違うのよオレって言いたげ〜、なんて言われそうですが、これがホントに子供の頃からのイメージなんです。表紙を見て想いを馳せてました。

例えばね、まんが日本昔話なんかも好きな絵のタッチとそうじゃないのがあったりしたでしょ?、そしてあのタッチだからこそ昔話の世界に誘われたような気がするんです。ぼくの中国史モノ小説の脳内トリップも、原田氏の表紙や挿絵を基礎に自分の好きな感じでボワ〜っと広がってゆきました。

それを思い出してちょっと興奮してしまい、原田氏のHPを見ると色んな版画がアップされてましてさらに大興奮。版画って独特の温度感が素晴らしい。

 

 

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そうするとボクの名前の旗印を見つけましたので、スクショして待ち受けにしちゃいました笑。怒られないかなコレ、、、、。

 

因みに、武芸者系の脳内トリップの源がコレ、

 

 

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子供の頃手にしたのはこれで和紙を使っていたように記憶してます、10人の剣客を10人の作家が描くという贅沢な内容。余り有名ではない(参考文献も少ない)剣客も登場する秀逸なシリーズ、個人的には高柳又四郎が好きで数えきれないくらい読み返しました。

 

 

 

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江戸時代の雰囲気はこんな感じでしょうか、水彩画で江戸の街を描いた装丁が好きでした。そしてこの藤沢周平を最も追っかけて読みました、昭和の受験戦争から江戸時代に現実逃避です。因みにこの用心棒シリーズに登場する佐知さんが素敵なのです、しかし4作目でちょっとアレ?となりますが、まあ歳を重ねて腹が座ったというところでしょうか、よかったら是非読んでみてください笑。

そして藤沢氏の作品は全体を通して食事に関わる描写がすこぶる素晴らしい、お腹すきます。

 

時代物を久々に読みたくなってきた。

 

そしてオチも見つからなくなってきた。。

 

それではまた次回。。。笑

趣味。

こんばんは。

毎度どうでも良いブログの時間です笑。

 

昨日の夕方、70年配の紳士が「ちょっとお尋ねします。」とおっしゃいながらご来店、ご丁寧に名刺をお出しになりこんなことを。

「知人の遺品として自転車をゆすり受けたのだが、どんな経緯でこれがその知人の手に辿り着いたのか、その足跡を追っている。この自転車はどうも洋服屋さん関連の人の手を通過しているらしい。色々当たった末に二条の自転車屋さんに行くと(UNIT跡)、ここから引っ越したDeweyさんは自転車が趣味なので知っているかもと言われてやってきた。」

もちろんもっと丁寧にお話でしたけど笑。

残念ながら全く心当たりに無い感じでしたのでお役に立てず、、、すみませんと謝りながらお見送りしました。

 

そしてふと思いました、趣味って何??

 

ボクのような仕事をしていると、趣味は?なんて事もあまり訊かれませんし、意識したことも殆ど無い。自分の使っている"趣味"に対しての近い表現としては"好きなこと"かも知れません。英語にすると"ホビー"ですが、これも本来のホビーの意味とはズレる。よくいう話ですが趣味というカテゴライズは日本人特有の分類、律儀なのか安易な分類癖なのか。

難しいのですよね。自転車を明確に趣味と言えるかとすると...以前はそれで利益を得ていた頃もありますし、そういう意味では洋服だって趣味の延長線上で20数年。

 

ボクが日常やってることといえば、自転車に乗って・服を触って・音楽を聴いて、たまに弾いて・本を読んで・ご飯を食べて、酒を飲んで・人と話して・寝る、、、です笑。これ全部好きな事、言うなれば生きるのが趣味ということになります。

 

そこで字の意味を考えました。趣味の"趣"、趣向性や趣旨の"趣"、訓読みすると"おもむく"、元来の意としては"赴く"と同じルーツでそこに行くというところにあるそうですね。おもむくということは"面が向く”ということ、顔がそっちに向くということは気持ちが向く、行きたいや好き、そういうことですよね。

 

ということは全部趣味だということですね、いわゆる"趣味"という言葉に捉われてそうじゃないという思いに囚われてました、立派に趣味持ってますボク笑。

 

趣味、人生です。

 

皆そうですよね、人類皆仲良く趣味人。

 

それではまた次回笑。

 

語尾上げ

こんばんは。

本日はほんとにどーでもいい話ですよ。

 

外出のままならない状況が続き、元来の出不精に拍車がかかっております。本読むのが好きなので、以前は週一くらいは何処かの本屋に行っておりましたが、今は月一くらいでしょうか。最寄りの書店といえば市役所駅のある小池の地下街にあるところなのですが宣言下で休業中、通勤途中にも本屋は無くままなりません。

そうなると、、自宅の本棚から長く読んで無いものなんかを手にすることになります。

最近だとこれ、

 

 

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下村湖人著「論語物語」です。

 

 

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3刷の昭和58年だと9歳、制服を着ない歳にはもう開いたことがなかったのでかなりお久しぶり。Amazonを覗くと同じものが1200円でした、本は最も値上がりし続けてる商品かもしれませんね。。。子供の頃はこの講談社学術文庫のシリーズをよく読んでました、興味があったのはもちろんですが半分は大人ぶってたのだと思います、紺色の背表紙が並ぶと賢くなった気分がしたのでしょう笑。とはいえこのシリーズ、難解なものも多いのですが子供でも読めるものも多数。

あ、思い出した。

 

 

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楠山正雄氏の昔話シリーズは大のお気に入りでした。昔話と聞いて侮るなかれです、選りすぐりの話と楠山氏の的確な表現、日本人の心の故郷や文化的基盤を感じられる内容で老若男女全ての人が読めるものだと思います。

 

論語物語に戻ります。こちらも同様に子供でも比較的読みやすい、比較的平易な言葉遣いで本来の論語同様に会話形式で進んでいきます。下村湖人は教育者としての人生を歩んだ人ですので子供にも読ませる前提だったのかもしれません。

 

そして本日の本題。

懐かしさと新鮮さを感じつつソファでごろんしながらパラパラめくってると、中3女子が「論語って孔子やろ?今国語で習ってる、知ってる!」とボクに乗っかってきます。彼女の肘や肩によるみぞおちや首への痛みに耐えながら笑、ん??と気になることが。

 

孔子のイントネーションが"こ→う→し⤴︎"となってるわけですね、おそらくそう教わってるのでしょうし各所で見聞きもします、しかしながらボクの感覚では"こ→う→し⤵︎"。

YouTubeを見てもやはり"し⤴︎"、それだけではなく老子墨子荘子孟子荀子孫子、全部"し⤴︎"、おじさんとしましては「じゃあ韓非子も"し⤴︎"にすんのかいな。。」と言いたくなります笑。

どうも釈然としないので、「孔子 イントネーション」で検索してみました。すると、、、

 

 

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コオシ??、、コーシ、、言いたいことは分からなくもないけど...そんなに自信満々で言われると、もうおじさんわけわかんない笑。Yahoo知恵袋の曖昧さを実感しました笑。

 

そしてちょっと立ち止まり考えると、答え発見。

君子を"く→ん→し⤴︎"って言わないですよね、上記の"子"の大元が君子なわけですから、"し⤵︎"でOK。

足元をしっかり顧みれば正解が待ってます。

 

ということで、自分の正義が見つかりました笑。

とはいえ言葉は進化するものなのでそのうち全員"し⤴︎"になるのでしょう、最後の"し⤵︎"のおじさんになれるかもしれません。

 

ね?、どうでもよかったでしょ笑。

 

それではまた次回。

マイTシャツの解析。

こんばんは。

 

前回に続きインスタ受けの様な内容になりますが、、

 

 

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「白のポケTは正義です」なんて事を言ったので、実際自分のワードローブはどうなってるのよ?と思い、数えてみました。ちょっと恥ずかしくもあるのですがボクのTシャツコーナーはこんな感じです↓

 

 

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よく着るであろう物をすぐに出せるところに、あまり着ないのはクローゼットの中orパッキンの中です。一般的に考えると多いとは思いますが職種的にはそれ程だと思います、そして同じ物が何枚もあります。

 

とうことで内訳は以下の通り。

*半袖 18枚

白/9(ポケT/4) 黒/5(ポケT/1) ネイビー/2 グレー杢/2

*七分袖 7枚

白/1(ポケT/1) 黒/2 グレー杢/2 チャコール杢/2

*長袖 15枚

白/7(ポケT/2) 黒/4(ポケT/1) グレー杢/2 チャコール杢/1 ネイビー/1

 

以上全てBETTER 40枚

 

他社製プリントTが5枚ありますが、これは今回カウントしません。因みにボクのお店には殆どプリントTが現れませんが、一応これには理由がありまして。。。

プリントTって意思表示の場だと思うんです、なので"今の流行りで"とかって扱い方はできない。例えばボクはサーファーじゃないのでサーフブランド的なプリントモノは変でしょ?、そういうことです。数年前某メゾンがヘヴィ・メタルのバンドTモチーフをリリースした時に女性人気が爆発してましたが、着てる人に訊くと「知らない〜、、聴いた事無い〜」という返答多数でした、これには加担したくない笑。因みにボクはヘヴィ・メタルを聴いて育ちました、なのでヘビメタとは口が裂けても言いません、"ヘヴィ・メタル"です、省略無し笑。

ボクの好きなミュージシャンは日本で不人気な場合が多い笑、なので欲しい場合はHPから直接購入してます。ここ数年買ってませんがカナダのCITY AND COULORというミュージシャンの通販担当の方とは、また買ってくれてありがと〜なんてやりとりがあったりしました笑。

とはいえアメトラベースのお店ですので、今後はカレッジプリント等は並ぶかも知れません。

 

話を戻します。

そのベター40枚の中でそれぞれの割合を、電卓叩きました。

*半袖45% 七分袖17.5% 長袖37.5%

*白42.5% 黒27.5% グレー杢15% チャコール杢7.5% ネイビー7.5%

*半袖のうち白が33%、長袖のうち白が47%

*ポケTが全体の20%で、半袖のうち28% 七分袖のうち14% 長袖のうち14%

 

やはり白が約半分でした、これを分析します。

*春夏のメインとして使うのはもちろんなのですが冬のインナーにも白を多用しますので(チラ見えで白を利かせる為)、必然的に多くなる。

*インナーに使いやすい生地、インナーに使う時にはsize3・ショートパンツにはsize4等、サイズの使い分けもある。これは他色でも同様なので2枚以上の所有となる。

*上記の条件を鑑みると、春夏にメインとして着るモノのポケットTの割合が引き上がることが分かる。

*逆に汗染み等が気にならない&インナー使いぜず着ることの多い七分袖の場合、白の割合が最も減り、他の3色が均等に各2となる。

 

こんな感じです。どうでしょ、面白かったです??、個人的には七分袖の状況が興味深い、雰囲気では感じ取ってましたが数字にすると分かりやすかった。今後の追加の参考にもなりました。

ボクの選ぶパンツの色、ネイビーが最も多くて次点がオリーブ、カーキベージュ系とチャコールが次に同じくらいで黒と白が最後、このバランスに対してトップスを持ってくる色選びなんだと思います。なのでパンツの色の比率が変わる場合、Tシャツに於いても白以外は自ずと変わるのではないか思います。

 

あ、後ね、「チャコール杢の七分袖とか半袖とかDeweyにないじゃ無いのよ!」とか、そういうツッコミはしないでくださいね笑。ボク自信ベターさんとは20年近い付き合いになるのでそういうのもあります、またはシーズンによっても細かな入れ替えもあるので、まあ優しく見守ってくださいということです笑。

 

皆さんのワードローブの参考にもなれば良いなあ思うのですが、、なるのかな。。

 

それではまた次回。

出自を明らめる。

こんばんは。

 

今朝入浴後に着替えた自分を見ると、白のTシャツ・ベージュのチノ・Gショックという出立ち。昼間のインスタに載っけたまんまです、靴をはくとそれなりになるのですが家の中だと何だか無味無臭、、、靴の偉大さよ笑。

 
 
 
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まあいつもの事なのですが、時折客観的に自分を顧みると「ん?普通・・・」となります、冗談半分ではありますが、相方に「Deweyに来てくれる皆さん、まあよくこんな普通のおっさんの言うこと聞いてくれるよね。」と言ってます笑。

Deweyの持ち味と申しますが、コンセプト的な意味合いではそれで然るべきなのですが、たまになんだこのおっさんと思ってしまいます笑。

 なんて言いながら控えめなスタンスを装っておりますが笑、もちろん正直なところこれで良いと思っております。これでの"で"、"が"じゃなくて"で"、"が"だと頑張りすぎて肩がイカってしまいますので、余裕の表情で"で"を使うべきなのです。

いわゆる"普通"のモノだけで体裁を整えるには、サイズ選び・色合わせ・パンツの裾の具合や小物遣い等々が重要ではあるのですが、それよりもその洋服のルーツとか自分が好きな理由とか、そういう胸襟の内で密かに持つものが重要なのかも知れません。

 

そこでTシャツやチノの話になると当事者の談が過ぎて少々グロテスクになりますので笑、今日現在のDeweyでは取り扱っていない黒靴を例に話してみようと思います、丁度インスタでも触れたことですし、ボクの場合の基本の黒靴。

 

黒靴、黒い革の短靴ですね。コレは男性にとっては必須アイテム、昨今は女性でもその傾向が見られますね、実際ボクの相方もそうです。何故かと言う理由、それは賢明な読者の皆さまならばお分かりでしょうし、ボク自身もおりに触れ申し上げてる通りです。

で、その黒い革の短靴。どういうことを言いたいのかと申しますと、高価であれば立派と言うわけでもないですし、もちろん安けりゃダメでも無い。自分の好きなスタイルと生活でどう選ぶかと言うことですね。

 ではDeweyのようにTシャツやB.Dシャツとチノを合わせるのがベースのスタイリングの場合。ダブルソールで外羽根の物であれば何でもよろしいと思います。基本的には米英のブランド、仏ならばパラブーツやウエストンあたりのフォルム、要は尖ってないということ。Tシャツ&チノパンということはアメトラの基本ですので、自ずとシャープなイタリア(日本のブランドでもイタリアのデザイン)の靴は履かない、ルーツを理解すれば選択を誤らないわけです。

そして雑に履かれたオールデンよりも、手入れをされたリーガルの方がよっぽど格好良い、要するに身嗜みです。インスタに映り込んでるクロケットのフルブローグのカントリーシューズですが、20年弱は履いてると思います、一応手入れをしつつキープしてますので、ちゃんとしてると言って良いですよね笑。

 

ここまではルール。

 

そして好きなスタイル。ボクの場合でお話しすると、フルブローグを自分の軸でしキープようと思います。コレは理由とかではなく好きなだけ、好きが理由。昨今の流れだとポストマンシューズやUチップの方が主流となってます、もちろん好きですし履きますが、自分の軸はあくまでもフルブローグ、コレは続けてきた(続いてしまった)ことなのでブレる必要がない。ルールの中での遊び、その味付けが自分の"らしさ"につながると思います。逆に言えばブレなくて済むわけです笑。

 

 

 

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何故これを選んでるのか?好ましく思った理由は?、こういうのを自分なりに分析できるとブレが少なくなるのでしょうね(とはいえブレずにガチガチだと余裕が無くなリますので、たまにはブレて自分のベースを再確認することも大切ですが笑)。モノの出どころを知るというのは、そのモノに近づく大切な行為だと思います。

そうなってくると一見なんの特徴のないスタイルでも何故かまとまって見える、自照した結果のサイズチョイスやディティールのなせる技なのかも知れません。

 

例えば凄腕のギタリスト、中1の頃街の楽器屋で1万円のギターを初めて買い、そこからギター三昧で何百本のギターを弾いて来た、ビンテージのマーチンやギブソンも多数。そんな彼がその辺に転がってるギターを爪弾くと、なんとも素敵な音を奏でる。

自信を凄腕のギタリストに並べるつもりはございませんが、ボクらは洋服に対して私財を注ぎ込み笑、色んな遠回りをしながら正解を探す旅を続けてますので、皆さんにショートカットの方法をお裾分け出来るのです。

 

なので、、身だしなみを整えるという洋服の付き合い方を求めている皆さんは安心してボクの言う事を聞いてください笑、たまに「全身白を着ろ!!」とか言っても、それも身だしなみの範疇です笑。

 "身だしなみ"を何度か唱えましたので、ちょっと気になってタブを合わせて待ってみたのですが、

 

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こんな大それた意味合いが"身嗜み"に含まれてます、もはや人間性を問われてますね。

 

・・・・・・・もうボクの言うことは聞かないでください笑笑。

 

それではまた次回。

 

ブラウンのパンツ。

こんばんは。

 

突然ですが、家のタオルってどんなのをお使いですか??。僕はと申しますと、どこそこの〜とか・オーガニックコットンの〜とか、そういうのは気にしていないのですが、色を使い分けていたりしてました。過去形ですね笑、最近は良い意味で全く気にしなくなりました。一人住まいだと自宅時間は自分だけ、自宅=自分の部屋ですので目に入る物の居心地の良さを優先しますよね。まあ、かぞくのいる今も割合同じ感覚が続いてるのですが。

その色なんですが、洗面所+お風呂はネイビー・トイレはグレー・キッチンのタオルと台拭きはブラウン、という内訳。食器を拭く布巾なんかはキナリでした。

因みにDeweyのお話でもよく言うのですが、工業製品の連続性のある雰囲気が好きで、家にいるときは更に余計な情報を排除したい、と言う事で陶器は限りなく白(ホテル用なんかがベスト)若しくは木製、グラスは透明、キッチン家電も白orステンレス。某印の無いブランドさんみたいな雰囲気ですが笑、マグカップと大皿は北欧やイギリス物を選んだりしてました。因みに無地の製品だとイタリアの業務用食器ブランドのTognanaが好きです、デロンギのオリジナルなんかはトニャーナ製ですね。

逸れました、タオルです。一応この3色の使い分けには理由がありまして、お風呂周辺は全身で水に触れますので爽やか方面でブルー系のネイビー・トイレは締まった方が清潔感があるのでグレー・キッチン+居間は家具や心の落ち着きに合わせてブラウン。まあ、、、予想のつく答えですよね笑笑。

 

で、ボクの洋服に対する色の好みも近いものがあります。白〜黒のグラデーションと、ネイビー・オリーブ・ブラウンを殆ど着ておけば安心、赤や黄色や淡い色なんかはワードローブの内の2割くらいで良いのでは?という感覚。

 

そして何故こんな話の入り方をしているのかと申しますと、

 

 

 

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最近表ブログで、このブラウンのファティーグをオススメする投稿を続けたところ、春夏に茶色〜?というお声をいただきましたので(といいつつお買い上げいただいて有難うございます笑)。

秋冬っぽいイメージがあるといわれると、、確かにそうではありますね。日本人の四季に対する繊細な感覚なのだと思います、服の色は国民性が出ますもんね。そういう意味では欧米人は季節に関係なくブラウンを多用していると思います、肌が白い白人は色が映えますし、黒人だとグッと締まってカッコイイ。逸れますが、黒人の男性がベージュのスーツにシャツ、ダークブラウンのブーツとかって格好をするとめちゃくちゃカッコイイ、ホント羨ましい。

 

というところでブラウン、特にパンツに関しては年中はいて頂きたいなあと思うのです。

ブラウン=茶色・栗色・褐色・土色、因みに熊(ベア)がブラウンの元だそうですね。この通り、ブラウンは大地の色だったり、熟れた木の実の色やお茶の色(緑茶って文化的には若いというのが良くわかりますね)。植物の色の在り方としては、全て土や木の幹の上にありますよね、葉っぱも花も草も、積もった雪も。

なので落ち着きの欲しい居間のタオルにブラウンを選んだのは自然の成り行き。

ということは、、、茶色は全ての色に合わせて良いということになります。大地の色は春夏秋冬同じ色、なので洋服の下半身にブラウンを置くのは自然なこととなるわけで、、

 

 

・・・・・以上笑。

なんだか説得力が足りないような気がしてきました笑。でも、そういう意味ではベージュのチノの万能性だって遠からずなんですよね。

 

んでね、ここまで書いてはたと気づいたのですが、、困ったことに、ボクの説得力への不安が更に。

 

褐色の"褐"、そのまま"かち"と読むのですよね、コレって濃い紺色という意味なんです、茶色ちゃうやん笑笑。古文なんかに出てくる意味だと、身分の低い人の衣服の色を指していた様子で、昔は藍が堅牢で手に入りやすかったので作業着やそういう人々によく使われたのでしょうね。それが武家の運動着(剣術の鍛錬や戦用)に使われるようになり、"紺は勝ち色"と文字られるようになったのでしょう。誰だったか忘れましたが、幕末の開国で日本の港に降り立ったアメリカ人が"日本人の紺色着用率の高さで景色が美しく感じた"なんてことを書き残しているそうです。

はたまた、フランス産のデニムがアメリカに渡っても作業着だった、これも東西問わず同じだったんですね、面白い。。

 

おい、ネイビーの話になってるやんか、、、笑。

 

ということで、本日もまとまりにかける裏ブログでしたが笑、GWに色のお話の続きをしにきてくださいませ。かく言うボクだって正解はわかりません、一緒に悩みましょう、悩んでください。

 

それではまた次回。